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羅恵錫(ナ・ヘソク)、田栄沢(チョン・ヨンテク)、朴英熙(パク・ヨンヒ)、朱耀燮(チュ・ヨソプ)、崔曙海(チェ・ソヘ)、玄鎮健(ヒョン・ジンゴン)、廉想渉(ヨム・サンソプ)、金東仁(キム・ドンイン)、羅稲香(ナ・ドヒャン) 著
オ・ファスン、岡裕美、カン・バンファ、ユン・ジヨン 訳
発行 書肆侃侃房
四六、上製、256ページ
定価:本体2200円+税
ISBN978-4-86385-524-3 C0097
装幀 成原亜美
装画 松尾穂波
韓国(朝鮮)文学の黎明期を彩る文学は厳しい時代を反映して
社会の底辺で報われぬ愛に生きる人たちの心をえぐられる物語を生み出してきた。
三従の道からの解放を自ら実践しようとして日本留学も果たした女性瓊姫は、新しい女性としての生き方を模索する「瓊姫(キョンヒ)」。白痴のように見えて実は、ある特殊な能力を持つ少年は自由を求めて危険な道に踏み出す「白痴? 天才?」。金を少しでも減らしたくない男。日々寄付を求めてやってくる人々を追い返すために猟犬を飼い始める「猟犬」。死んでから天国に行くより、今のこの世でほんの少しでもいいから、よい暮らしをしてみたいと願う男「人力車夫」。究極の貧しさゆえ空腹を満たすために腐ったサバを食べてしまい、食中毒をおこした息子を何とかして救おうと奔走する母親「朴乭(パクトル)の死」。厳格な舎監が夜な夜な繰り返す秘密の時間。その秘密を垣間見てしまった女学生たち「B舎監とラブレター」。朝鮮人の父親と日本人の母親を持つ混血の息子の葛藤と生きづらさを時代背景と共に綴る「南忠緒(ナムチュンソ)」。韓国最初の創作SF小説。人間の排泄物から必要な要素だけ取り出して人工肉を作る実験に明け暮れる笑えない現実「K博士の研究」。子どものころから主人に絶対服従を誓って生きてきたもの言えぬ男。ある日、屋敷が火事になり、若主人の新婦を救おうと火の中に飛び込んでいく「唖の三龍」。
【目次】
瓊姫(キョンヒ) 경희 羅恵錫(ナ・ヘソク/나혜석) オ・ファスン 訳
白痴? 天才? 천치? 천재? 田栄沢(チョン・ヨンテク/전영택) カン・バンファ 訳
猟犬 사냥개 朴英熙(パク・ヨンヒ/박영희) カン・バンファ 訳
人力車夫 인력거꾼 朱耀燮(チュ・ヨソプ/주요섭) ユン・ジヨン 訳
朴乭(パクトル)の死 박돌의 죽음 崔曙海(チェ・ソヘ/최서해) 岡裕美 訳
B舎監とラブレター B사감과 러브 레터 玄鎮健(ヒョン・ジンゴン/현진건) カン・バンファ 訳
南忠緒 남충서 廉想渉(ヨム・サンソプ/염상섭) ユン・ジヨン 訳
K博士の研究 K박사의 연구 金東仁(キム・ドンイン/김동인) 岡裕美 訳
啞の三龍 벙어리 삼룡 羅稲香(ナ・ドヒャン/나도향) オ・ファスン 訳
解説 芹川哲世
文学史年表
【著者プロフィール】
羅恵錫(ナ・ヘソク)나혜석
一八九六~一九四八 京畿道水原(キョンギド・スウォン)生まれ。画家、文筆家。五人兄妹の三番目に生まれ、一九一〇年の日韓併合前後、父が官僚を務め裕福な家庭に育つ。進明(チンミョン)女子高等普通学校卒業後、兄の勧めで日本に留学し、私立女子美術学校(現 女子美術大学)西洋画部に進学し油絵を専攻。韓国初の女性西洋画家となる。在学中に東京の女学生たちの自由な雰囲気に触れて女性解放のための運動に参加し、韓国初の新女性とも言われる。一時は独立運動にも傾倒するが、後に結果としては現実と妥協する道を選ぶことになり、一九二〇年四月、六年間求愛され続けたという日本の外交官となる親日派の留学生と結婚する。結婚後、夫とともに三年に及ぶヨーロッパ周遊に出るが、その途中に出会った夫の友人と道ならぬ恋に落ちて夫に離縁される。離婚後、画家としての才能を開花させ、朝鮮美術展覧会、日本の帝国美術院展覧会でも入選する。波乱万丈な人生を送るが、晩年は一時養老院にも身を寄せ、五十二歳の若さで病死する。「瓊姫」は女学生時代の一九一八年に発表した自伝的小説であり、他に小説では「閨怨」(二一)「玄淑」(三六)などの短編、詩では「人形の家」などの作品がある。
田栄沢(チョン・ヨンテク)전영택
一八九四~一九六八 平壌(ピョンヤン)に生まれる。一九一〇年、平壌大成(テソン)中学を三年生で中退。一九一八年に青山学院文学部を卒業、同校の神学部に再入学する。金東仁(キム・ドンイン)、朱耀翰(チュ・ヨハン)、金煥(キム・ファン)らと文芸誌「創造」の同人となり、東京で学生独立運動にも参加。一九二三年、青山学院神学部を卒業後、監理教会所属の協成神学校と協成女子神学校の教員を経て、一九三〇年には米パシフィック神学校に入学する傍ら興士団(安昌浩[アン・チャンホ]が設立した民族運動団体)にも加入する。一九三二年に帰国し、黄海道鳳山(ファンヘド・ポンサン)監理教会、一九三八年に平壌ヨハン学校、女子聖経学校、一九四二年に平壌神理教会で牧師、一九四八年に中央神学校教授などを務めた。一方で文教部編修局編修官(四六)、在日本東京韓国福音新聞主幹(五二)、大韓基督教文書出版協会、基督宣教会編集局長(五二)など学界・言論界にも従事しながら、一九六一年には韓国文人協会初代理事長を務める。一九六三年、大韓民国文化褒章大統領章を受ける。短編「恵善の死」(一九)、「白痴? 天才?」(一九)などの作品からは、彼がどうすれば自然体の小説を書けるかと試みていたことがわかる。一方で「生命の春」(二〇)、「毒薬を飲む女人」(二一)などは、己未獨立運動をめぐる彼自身の実生活と緊密な関係にある作品である。また、「ファスブン」(二五)など死を扱う作品が多いのは、死を通してこそ命と人生の意味、その価値を理解できるという著者の認識ゆえだ。彼の文学世界は基督教的な信仰に基づいており、作為的な虚構性を排除し、人道主義と人間愛を目指している。一九五〇年に発表した「牛」でも、分断の悲劇による南北相互間の憎しみと敵対関係が深まっていく過程を人道主義で解決しようという試みが見られる。作品集に『生命の春』(二六)、『空を見つめる女人』(五八)などがある。
朴英熙(パク・ヨンヒ)박영희
一九〇一~? ソウル生まれ。一九一六年、培材(ペジェ)高等普通学校に入学し、在学中に羅稻香(ナ・ドヒャン)、金基鎭(キム・ギジン)、金復鎭(キム・ボクジン)らと親交を結び、一九一九年三月五日、三・一運動に参加する。一九二〇年、培材高等普通学校を修了して日本に渡り正則英語学校に入学、一九二一年に帰国し総合教養誌「新青年」、韓国初の詩専門誌「薔薇村」の同人として活動した。一九二二年、浪漫主義と象徴主義の文学を紹介する雑誌「白潮」の同人として活動し、創刊号に「微笑の虚華詩」などの詩と、オスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」の翻訳が掲載される。一九二四年には開闢社で学芸部長を務め、同年、新傾向派文学団体パスキュラを結成。一九二五年、KAPF(朝鮮プロレタリア芸術同盟)結成に参加し、教養部の責任者を務める。一九三一年、第一次KAPF検挙事件を機に拘束され、翌年不起訴処分となる。一九三四年、一月二日付けの「東亜日報」に「最近文芸理論の新展開とその傾向」を発表し、KAPF脱退と転向を宣言。一九三七年、詩集『懐月詩抄』を発刊。一九三六年一二月に公布された「朝鮮思想犯保護観察令」により朝鮮思想犯観察所に収容される。一九三八年六月、転向者を国民精神総動員に参加させるための時局対応全国委員会に朝鮮人代表委員として参加。同月、時局対応全鮮思想報国連盟結成の準備委員として選出され、彼が脚色した防諜映画『軍用列車』が公開された。同年七月、思想報国連盟の京城支部幹事、常任幹事、厚生部部長などを歴任し、九月には朝鮮防共協会の評議員となった。一九三九年三月、皇軍慰問作家団の実行委員に選ばれ、一九四〇年五月、国民精神総動員朝鮮連盟の嘱託で機関誌「総動員」編集に関与する。一九四一年一月、国民総力朝鮮連盟文化部文化委員となり、同年三月、彼の原作で志願兵宣伝映画『志願兵』が公開された。その後も活発な親日活動を続け、文筆においても親日関連の文章を多数残した。朝鮮解放後は大学講師を務め、一九五〇年、朝鮮戦争勃発後、北へ渡る。著書に小説と評論をまとめた『小説・評論集』(三〇)、評論集「文学の理論と実際」(四七)などがある。
朱耀燮(チュ・ヨソプ)주요섭
一九〇二~一九七二 平安南道平壌(ピョンアンナムドピョンアン)生まれの小説家、ジャーナリスト、独立運動家、英文学者。プロテスタント牧師であった朱孔三の次男として生まれ、「ヨソプ(ジョセフ)」という名前を受けた。号は餘心(ヨシム)など。兄は朝鮮を代表する近代詩人の朱耀翰(チュ・ヨハン)。崇德(スンドク)小学校、崇実(スンシル)中学校を経て一九一八年に渡日し、靑山学院中学部三年に編入。一九一九年に三・一独立運動を受けて帰国し、謄写版の地下新聞を発刊した廉で十ヵ月間投獄される。その後、中国に渡り、一九二七年に上海の滬江大学を卒業。翌年に渡米し、スタンフォード大学で教育学を学び、修士の学位を受けた。一九二九年に帰国した後は、一九三一年に東亜日報社に入社し、『新東亜』の主幹を務めた。一九三四年、中国北京の輔仁大学教授に就任。一九四三年に帰国し、解放後は、『コリアタイムズ』主筆、慶熙(キョンヒ)大学教授、国際ペンクラブ韓国本部委員長などを歴任した。作家としては、一九二一年に雑誌「開闢」に発表した短編小説「寒い夜」で文壇デビュー。「人力車夫」(二五)を含む初期の作品では、上海を背景に下層階級の人々の悲惨な生活を描き、ヒューマニズムの色彩が強く現れるため、新傾向派の作家と呼ばれる。一九三〇年代に発表された中期の作品では、人間の内面世界を追究し、女性心理の描写に長けた代表作「間借り客と母」(三五)で大衆的に世に知られた。解放後は、社会的な現実認識が強く反映された作品を多く発表。一九七二年に心筋梗塞により死去。
崔曙海(チェ・ソヘ)최서해
一九〇一~一九三二 咸鏡北道城津(ハムギョンブクドソンジン)に生まれる。本名は崔鶴松(チェ・ハクソン)、号は曙海など。極貧家庭に育ち、普通学校(小学校)を三年で中退した。一八年に間島(現在の中国吉林省延辺)に移住し、日雇い労働をしながら文学の習作を始める。作家になることを決意すると二四年に老母と妻子を置いて帰国し、上京。「朝鮮文壇」誌に短編「故国」を発表した。二五年には「脱出記」「飢餓と殺戮」「朴乭の死」など次々に短編を発表し、新傾向派文学の旗手として注目を浴びた。同年、KAPF(朝鮮プロレタリア芸術同盟)の設立に参加したが、二九年に脱退。三一年、朝鮮総督府機関紙の「毎日申報」に学芸部長として入社し、同年小説集「紅焰」を刊行するも胃病と阿片中毒に苦しみ、翌年入院先の病院で亡くなった。崔曙海の作品は自身の間島での放浪生活を描いたものや故郷である咸鏡道を背景に労働者や雑役夫の生活苦を取り上げたもの、周囲の文学者の貧しい暮らしを描いたものが主であり、新傾向派が陥りがちなイデオロギー過剰の観念的傾向とは異なる自身の経験に基づくものとして、近代リアリズム小説の一つの転換点を生み出したといえる。その他の代表作に「洪水の後」(二五)、「白琴」(二六)、「日の出」(二六)、「底流」(二六)などがある。
玄鎮健(ヒョン・ジンゴン)현진건
一九〇〇~一九四三 大邱(テグ)生まれ。書堂で漢文を学び、一九一七年、日本の成城中学に編入、一八年に中退する。一九一九年、李相和(イ・サンファ)、白基萬(ペク・ギマン)、李相佰(イ・サンベク)らと同人誌「炬火」を発刊。一九一八年、上海にいた次兄を頼って滬江(フージャン)大学に入学した。一九二一年、朝鮮日報社入社をきっかけに「東明」、「時代日報」、「東亜日報」の記者として活動した。一九二〇年、「開闢」に短編「犠牲花」を発表して酷評されるが、翌年、自伝的小説「貧妻」を発表して文壇の注目を集めた。同年、「白潮」の同人としても活動する。その後、上海で共産主義者として活動していた三兄の逮捕と死に衝撃を受けるが、自身も一九三六年、東亜日報社社会部長だった当時、日章旗抹消事件で一年間投獄される。一九三七年、東亜日報社を辞めて小説創作に専念するようになり、貧しさに耐えながらも親日文学に流されないまま、一九四三年に腸結核で亡くなる。彼の小説は大きく三段階に分かれる。第一段階は「貧妻」(二一)、「酒を勧める社会」(二一)、「堕落者」(二二)などの一人称小説で、著者の自伝的要素が濃い作品。第二段階は現実告発小説として都市に生きる下層民の運命を追った「運のよい日」(二四)、未熟な性意識と労役に苦しむ農村女性を描いた「火」(二五)、土地を失い労働者として渡り歩く離農民を描いた「故郷」(二六)などで、これらは一九二〇年代の短編文学の一頂点を示している。第三段階では歴史小説「赤道」(三三~三四)、「無影塔」(三八~三九)などを通じて民族の魂を表現しようとした。
廉想渉(ヨム・サンソプ)염상섭
一八九七~一九六三 漢城(現・ソウル)生まれの小説家、言論人。本名は廉尙燮(ヨム・サンソプ)、号は 橫步(フェンボ)または霽月(ジェウォル)。一九〇七年、官立師範附属普通学校に入学するが中退。普成小学校・中学校を経て、一九一二年に渡日。麻布中学校、聖学院中学校への編入を経て、一九一八年に京都府立第二中学校卒業。同年、慶應義塾大学文科予科に入学するも、半年で自退。翌年、大阪にて三・一独立運動に参加し、投獄される。一九二〇年に帰国し、『東亜日報』を振り出しに各紙で記者生活を送り、三〇年代後半には満州にも滞在した。新聞・雑誌の編集人を務める傍ら、小説・評論を発表。一九二〇年、文芸同人誌『廃墟』を金億らと発刊。一九二一年に実質的デビュー作「標本室の青蛙」を『開闢』誌に発表し、朝鮮の自然主義文学の祖となった。初期の作品は自然主義の傾向が強かったが、のちには社会の現実を描くリアリズム文学を確立。代表作は日本の植民地下という暗い現実を直視した『万歳前』(一九二四年)、『三代』(一九三一年)など。解放後も精力的に作品を書き続け、芸術院功労賞(一九五七年)、大韓民国文化勲章(一九六二年)など、数々の賞を受けた。李光洙と並び称される二大文豪の一人とされる。一九六三年にソウル市の自宅にて直腸ガンで死去。
金東仁(キム・ドンイン)김동인
一九〇〇~一九五一 平壌(ピョンヤン)に生まれる。号は琴童(クムドン)など。一九一四年に日本に渡り、東京学院中学部に入学したが、学校が閉鎖されたため翌年に明治学院中学部二年に編入。一八年には川端画学校に入学した。一九年二月、田栄沢(チョン・ヨンテク)、朱耀翰(チュ・ヨハン)らとともに初の純文学同人誌「創造」を発刊。創刊号に初の短編小説「弱き者の悲しみ」を発表した。同年三月に帰国するが、弟の頼みで三・一独立運動の檄文を起草した疑いで拘束、投獄された。釈放後、「命」(二一)、「馬鈴薯」(二五)、「狂炎ソナタ」(三〇)などの短編を発表し、李光洙(イ・グァンス)の啓蒙主義文学と対比される簡潔で洗練された文体が評価された。また「朝鮮近代小説考」(二九)や「春園研究」(三八)で李光洙を批判したことでも知られる。三〇年から翌年まで初の長編小説『若い彼ら』を「東亜日報」に連載。三三年には「朝鮮日報」に学芸部長として入社したが、ほどなく辞職した。月刊誌「野談」を発刊、「狂画師」(三五)などの作品を発表する。三八年、「毎日申報」に内鮮一体や皇民化政策をたたえる内容の散文「国旗」を寄稿し、日本の帝国主義に協力する姿勢を示した。翌年には北支皇軍慰問作家団で活動し、同年に朝鮮総督府の外郭団体である朝鮮文人協会に発起人として参加した。植民地支配からの解放後、四六年に全朝鮮文筆家協会の結成を主導し、李光洙をはじめとする作家の植民地時代の親日行為を批判する「反逆者」(四六)、「亡国人記」(四七)などの短編を発表した。四九年に中風で倒れ、五一年に朝鮮戦争の戦火の中、ソウルの自宅で亡くなった。
羅稲香(ナ・ドヒャン)나도향
一九〇二~一九二六 ソウル生まれ。小説家。本名は羅慶孫(ナ・ギョンソン)、筆名は彬(ビン)。稲香は号である。祖父は漢方医で父も医者であったため、一九一九年に培材(ペジェ)高等普通学校を卒業すると、同年に父と同じ京城医学専門学校に入学する。だが文学を志し、家族に内緒で日本に渡る。しかし学費が工面できず留学を断念して帰国することに。その後、一時、慶尚北道安東(キョンサンプクド・アンドン)の普通学校で教鞭をとる。一九二一年頃から創作活動を始め、一九二二年には洪思容、玄鎮健、李相和、朴英熙、朴鍾和、盧子泳らとともに文芸同人誌『白潮』を創刊する。創刊号に「若者の時節」を発表して小説家となる。同年、東亜日報で長編小説『幻戯』の連載を始める。「かつての夢は蒼白だ」(二二)「十七円五十銭」(二三)など、初期は浪漫主義的作品が続いたが、後に不条理な社会を客観的に描き写実主義的小説に変貌したと評価される。その代表的な作品が「啞の三龍」(二五)である。一九二五年に再渡日するものの、生活に困窮して志半ばにして一九二六年に帰国し、その直後に病死する。二四歳の若さだった。若き天才文士ともいわれ、代表作には「水車」(二五)「桑」(二五)などの短編小説があり、死後の一九三九年には長編『母』が刊行された。短期間で比較的多くの作品を残した作家である。
【訳者プロフィール】
オ・ファスン(呉華順)
青山学院大学法学部卒業後、韓国の慶煕大学大学院国語国文科修士課程修了。フリーライター、翻訳者。第一回新韓流文化コンテンツ翻訳コンテスト(ウェブコミック日本語部門)優秀賞受賞。著書『なぜなにコリア』(共同通信社)。訳書に『旅立ち』(俳優ソン・スンホン著)、『朱蒙(チュモン)』(TOKIMEKIパブリッシング)ほか韓国ドラマ公式ガイドブック多数、『つかめ!理科ダマン』シリーズ(マガジンハウス)、『準備していた心を使い果たしたので、今日はこのへんで』(扶桑社)などがある。
岡裕美(おか・ひろみ)
同志社大学文学部卒業、延世大学校国語国文学科修士課程修了。第十一回韓国文学翻訳新人賞を受賞。訳書にキム・スム『ひとり』(三一書房)、イ・ジン『ギター・ブギー・シャッフル』、キム・スム『さすらう地』(共に新泉社)、李箱ほか『韓国文学の源流短編選3 失花』、李孝石ほか『韓国文学の源流短編選2 オリオンと林檎』(共に書肆侃侃房、共訳)、『韓国・朝鮮の美を読む』(野間秀樹、白永瑞編、クオン、共訳)などがある。
カン・バンファ(姜芳華)
岡山県倉敷市生まれ。岡山商科大学法律学科、梨花女子大学通訳翻訳大学院卒、高麗大学文芸創作科博士課程修了。梨花女子大学通訳翻訳大学院、韓国文学翻訳院翻訳アカデミー日本語科、同院翻訳アトリエ日本語科などで教える。韓国文学翻訳院翻訳新人賞受賞。日訳書にチョン・ユジョン『七年の夜』、ピョン・ヘヨン『ホール』、ペク・スリン『惨憺たる光』『夏のヴィラ』(共に書肆侃侃房)、チョン・ユジョン『種の起源』、チョン・ソンラン『千個の青』(共に早川書房)、チョン・ミジン『みんな知ってる、みんな知らない』(U-NEXT)など。韓訳書に柳美里『JR上野駅公園口』、三島由紀夫『文章読本』(共訳)、児童書多数。共著に『일본어 번역 스킬(日本語翻訳スキル)』(넥서스 JAPANESE)がある。
ユン・ジヨン(尹志映)
韓国ソウル生まれ。延世大学校英語英文学科、日本学連繫専攻卒。東京大学大学院総合文化研究科超越文化科学専攻修士・博士号取得。韓国文学翻訳院日本語特別課程ならびに同アトリエ課程修了。訳書にキム・チョヨプ『わたしたちが光の速さで進めないなら』(早川書房、共訳)。
【韓国文学の源流シリーズ】
2019年6月にスタートした韓国文学の源流シリーズは朝鮮文学時代から今の韓国現代文学に続く、古典的作品から現代まで、その時代を代表する短編の名作をセレクトし、韓国文学の源流を俯瞰できるシリーズです。
各巻には小説が書かれた時代がわかるような解説とその時代の地図、簡単な文学史年表が入ります。よりいっそう、韓国文学に親しんでいただければ幸いです。
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