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演劇とその分身|アントナン・アルトー
¥990
翻訳 鈴木創士 河出文庫 文庫 ● 256ページ ISBN:978-4-309-46700-9 ● Cコード:0174 発売日:2019.10.08 河出文庫 ア5-4 定価990円(本体900円) 「残酷演劇」を宣言して20世紀演劇を変え、いまだに震源となっている歴史的名著がついに新訳。身体のアナーキーからすべてを問い直し、あらゆる領域に巨大な影響を与えたアルトーの核心をしめす代表作。 著者 アントナン・アルトー (アルトー,A) 1896-1948年。「思考の不可能性」を思考するフランスの詩人。「残酷劇」を提唱する演劇人。西洋からの脱却を必死に試みて、後年、精神病院へと監禁される。激烈な生涯と『演劇とその分身』『ヘリオガバルス』等の著書によって巨大な影響を与え続けている。 鈴木 創士 (スズキ ソウシ) 1954年生まれ。著書に『アントナン・アルトーの帰還』『中島らも烈伝』『魔法使いの弟子』。訳書に『神の裁きと訣別するため』(共訳)『狂人の二つの体制』(共訳)『歓待の書』『ロデーズからの手紙』。
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村上春樹の「螢」・オーウェルの「一九八四年」|森泉岳土
¥1,210
原作 村上春樹/ジョージ・オーウェル 発行 河出書房新社 単行本 A5 ● 112ページ ISBN:978-4-309-29058-4 ● Cコード:0079 発売日:2019.12.24 本体1,100円 今読むべき2篇の名作を奇跡のマンガ化――世界で愛される村上春樹の恋愛短篇「螢」と、G・オーウェルが超管理社会到来を予言したディストピア長篇「一九八四年」! 解説・柴田元幸 著者 森泉 岳土 (モリイズミ タケヒト) 1975年生まれ。特異な技法で描き世界が注目するマンガ家。『祈りと署名』『カフカの「城」他三篇』『報いは報い、罰は罰』『セリー』『村上春樹の「螢」・オーウェルの「一九八四年」』『アスリープ』他。
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MONKEY vol. 32 特集:いきものたち
¥1,540
発行 スイッチ・パブリッシング ISBN:9784884186265 2024年2月15日刊行 価格:1,540円 (うち税 140円) イノシシ、カエル、イヌなど「いきもの」が登場する創作を集めた特集‼︎ ジョン・アーヴィングの小説内小説の柴田元幸による新訳や、岸本佐知子が本特集のために選び訳したステファニー・ヴォーンの短篇のほか、伊藤比呂美や小山田浩子の書き下ろし作品から、長場雄の絵物語などを掲載。 さらに、トルーマン・カポーティ「夜の樹」を村上春樹による新訳で収録。 表紙はミロコマチコによる描き下ろし作品です。 【CONTENTS】 特集 いきものたち Cover Artwork by mirocomachiko 2 猿のあいさつ(柴田元幸) 8 ミロコマチコ しま 14 伊藤比呂美 ヒルディスヴィーニたち 絵―植田陽貴 24 ケヴィン・ブロックマイヤー 祝福をもたらす内なる動物 ——小説における非 – 人間生物の存在意義について 38 動物が主要なキャラクターとなっている名作 50 訳一柴田元幸 絵一秦直也 40 いきものが登場する名作 50 選一柴田元幸 絵一秦直也 42 ステファニー・ヴォーン 犬の天国 訳ー岸本佐知子 絵―濱愛子 52 小山田浩子 観察のしかた 絵―nakaban 62 ジョン・アーヴィング ペンション・グリルパルツァー 訳―柴田元幸 83 R・L・スティーヴンソン 立派な訪問者 訳ー柴田元幸 84 長場雄 SATURDAY IN THE PARK 92 フィリップ・K・ディック プリザビング・マシン 訳―柴田元幸 絵ー小林紗織 100 セナー・アーマド 狼たち 訳ー柴田元幸 絵―小林エリカ 118 インタビュー ジョン・クラッセン 闇がそこにあるという実感 聞き手ー柴田元幸 126 坂口恭平 手紙 132 No Music, No Stories ブレイディみかこ 恋の帰結 絵ー長崎訓子 142 百の耳の都市 古川日出男 砂の女 artwork―*高田安規子・政子 写真―ただ 146 このあたりの人たち 川上弘美 矮小化 写真―野口里佳 148 死ぬまでに行きたい海 岸本佐知子 夢の島熱帯植物館 152 本号の執筆者/次号予告 154 猿の仕事 156 サワコ・ナカヤス コップ一杯の水としての蟻 訳ー柴田元幸 158 トルーマン・カポーティ 夜の樹 訳ー村上春樹 *……(はしご高)
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ケンブリッジ・サーカス|柴田元幸
¥1,980
発行 スイッチ・パブリッシング 2010年4月2日発行 価格:1,980円 (うち税 180円) 柴田元幸、初のトラベルエッセイ集 20年来の友人でもある作家ポール・オースターに会いにニューヨークへ。大学時代に暮らしていたロンドン、思い出深い音楽の街リバプールへ。米国に移住した実の兄を訪ねてオレゴンのスモールタウンへ。シカゴ在住の作家スチュアート・ダイベックと共に、柴田が生まれ育った東京・大田区六郷の路地裏へ。これまで Coyote の特集で世界中を歩き、綴った紀行文を中心に、柴田が現在も教鞭を執る東京大学本郷キャンパスを舞台にした書き下ろしを加えた一冊 ............................................................................................................................... キャヴァーンには行くなよ、ぼられるだけだから、と彼は、それまでの卑屈さとはうって変わって、これだけは人生でただひとつ確かなことだと言わんばかりにきっぱりと言った、そして、僕はずっと一緒に初めてにっこり笑った。 キャヴァーンとはむろん、ビートルズが出演していたことで有名なクラブである。 うん、行かない、と僕は言った。__「僕とヒッチハイクと猿」より 目次 ○ 六郷育ち(東京) ○ 僕とヒッチハイクと猿 (ロンドン・リバプール) ○ ポール・オースターの街(ニューヨーク) ○ 少年の旅(ポール・オースターとの対話) ○ 兄とスモールタウンへ(オレゴン) ○ スチュアート・ダイベックと京浜工業地帯を歩く(東京) ○ 東大・本郷キャンパス迷走中(東京) あとがき (特別付録)夜明け
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アメリカ文学のレッスン|柴田元幸
¥924
講談社現代新書 発売日 2000年05月19日 価格 定価:924円(本体840円) ISBN 978-4-06-149501-2 通巻番号 1501 判型 新書 ページ数 208ページ ポー、メルヴィルからオースター、パワーズまで── 著書自ら訳し、語る、待望の本格的講義。
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書こうとするな、ただ書け -ブコウスキー書簡集-|チャールズ・ブコウスキー
¥3,520
SOLD OUT
中川五郎 訳 発行 青土社 定価3,520円(本体3,200円) 発売日2022年2月12日 ISBN978-4-7917-7444-9 わたしは作家になろうと必死で努力していたわけではなく、ただ自分がご機嫌になれることをやっていただけの話なのだ。 「自分がどうやってやってこれたのかよくわからない。酒にはいつも救われた。今もそうだ。それに、正直に言って、わたしは書くことが好きで好きでたまらなかった! タイプライターを打つ音。タイプライターがその音だけ立ててくれればいいと思うことがある。」(本文より) カルト的作家が知人に宛てた「書くこと」についての手紙。その赤裸々な言葉から伝説的作家の実像と思想に迫る、圧倒的な書簡集。
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ぼくの伯⽗さん|ジャン=クロード・カリエール 作/ピエール・エテックス 絵
¥1,870
訳:小柳帝 発行 アノニマ・スタジオ ISBN-13:978-4-87758-843-4 発売日:2022/12/14 定価 1870円(本体価格1700円) ジャック・タチ映画のノベライズ版が 特集上映「ピエール・エテックス レトロスペクティブ」にあわせて本邦初訳! 仏映画の巨匠ジャック・タチによる名作映画『ぼくの伯父さん』の小説版。大人になった少年が変わり者の伯父さんとの日々を回想する物語。タチ映画のポスターイラストを手がけたピエール・エテックスによる線画イラストも魅力。 著者略歴 ジャン=クロード・カリエール(JEAN-CLAUDE CARRIÈRE) 1931年生まれ。フランスの作家、劇作家、脚本家。高等師範学校を中退後、映画監督ジャック・タチの弟子で本書の挿絵も担当したピエール・エテックスの監督デビュー作となった短編映画『破局』で脚本家としてデビュー。手がけた脚本は約60本で、主な脚本に『昼顔』等のルイス・ブニュエルの後期傑作群、フォルカー・シュレンドルフ『ブリキの太鼓』、大島渚『マックス、モン・アムール』などがある。自身の著書も約80点あり、邦訳としては、ウンベルト・エーコとの共著の『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』(CCCメディアハウス)などがある。2021年に逝去。享年89歳。 ピエール・エテックス(PIERRE ETAIX) 1928年生まれ。フランスの映画監督、俳優、道化師、イラストレーターなど。5歳のときに行ったサーカスに魅せられ、道化師の道を志す。ジャック・タチに弟子入りし、『ぼくの伯父さん』でアシスタントを務める。その時、イラストレーターとしての才能も買われ、ポスターデザインと、ノベライズ版の挿絵を手がける。そこで知り合ったカリエールと、自身も映画を制作するようになり、『恋する男(女はコワイです)』『ヨーヨー』『大恋愛』など長編・短編合わせ7本以上の映画を撮る。2016年に逝去。享年87歳。2022年末より「ピエール・エテックス レトロスペクティブ」が全国にて順次公開される。 小柳帝(こやなぎ みかど) 1963年福岡県生まれ。ライター、編集者、フランス語翻訳。東京大学大学院総合文化研究科表象文化論(映画史)の修士課程修了後、映画・音楽・デザインなどをテーマに執筆活動を続けている。主な編著書に『モンド・ミュージック』(リブロポート)『ひとり』『ROVAのフレンチカルチャー AtoZ』(ともにアスペクト)『小柳帝のバビロンノート 映画についての覚書』(woolen press)。主な翻訳書に『ぼくの伯父さんの休暇』『サヴィニャック ポスター A–Z』(ともにアノニマ・スタジオ)。フランス語教室「ROVA」を主宰し、2022年に23周年を迎えた。
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韓国文学の源流 短編選4 1946–1959 雨日和
¥3,190
著者 池河蓮(チ・ハリョン)、桂鎔默(ケ・ヨンムク)、金東里(キム・ドンニ)、孫昌渉(ソン・チャンソプ)、呉尚源(オ・サンウォン)、張龍鶴(チャン・ヨンハク)、朴景利(パク・キョンニ)、呉永壽(オ・ヨンス)、黄順元(ファン・スンウォン) 翻訳 オ・ファスン、カン・バンファ、小西直子 発行 書肆侃侃房 四六、上製、296ページ 定価:本体2900円(+税) ISBN978-4-86385-607-3 C0097 装幀 成原亜美 装画 松尾穂波 植民地から解放されても朝鮮戦争の戦後、完全に南北に分断され交流を絶たれた人々の苦悩は続く 「解放」後の混乱期に肩書をなくした高学歴の青年が<小ブルジョア>としての運命を予感「道程」。満洲からソウルに辿り着いた母と息子の、部屋さえ得られない苦難の日々「星を数える」。ひとところにとどまらず回遊していく男と、定住したまま動こうとしない女の相克「駅馬」。釜山に避難した貧しい兄妹のおぼつかない日々。ある日、二人は行方知れずになった「雨日和」。前線で戦っていた兵士が突然拘束され、転向を拒否したために辿る悲惨な運命「猶予」。南の島に幽閉された二人の捕虜。自死した仲間の家を訪ねた男を息子と思い最期を迎える母「ヨハネ詩集」。戦争時に夫を、戦後息子を失った女は神も信じられず、早逝した息子の位牌も焼いてしまう「不信時代」。朝鮮戦争は終わったが、その後軍の監房に収監された兵士たちのドタバタ劇「明暗」。休戦後、世の中はがらりと変わり、戦争時の密告者が罪の意識に苛まれるようになる「すべての栄光は」。 【目次】 道程―小市民 도정-소시민 池河蓮(チ・ハリョン/지하련) カン・バンファ訳 星を数える 별을 헨다 桂鎔默(ケ・ヨンムク/계용묵) オ・ファスン 訳 駅馬 역마 金東里(キム・ドンニ/김동리) 小西直子 訳 雨日和 비 오는 날 孫昌渉(ン・チャンソプ/손창섭) カン・バンファ 訳 猶予 유예 呉尚源(オ・サンウォン/오상원) 小西直子 訳 ヨハネ詩集 요한시집 張龍鶴(チャン・ヨンハク/장용학) カン・バンファ 訳 不信時代 불신시대 朴景利(パク・キョンニ/박경리) オ・ファスン 訳 明暗 명암 呉永壽 (オ・ヨンス/오영수) オ・ファスン 訳 すべての栄光は 모든 영광은 黄順元(ファン・スンウォン/황순원) 小西直子 訳 【著者プロフィール】 池河蓮(チ・ハリョン) 一九一二―一九六〇。慶尚南道の居昌(コチャン)に生まれる。本名は李現郁(イ・ヒョヌク)。一九四〇年、雑誌『文章』に「決別」を発表し作家となる。日本に留学し東京の昭和高等女学校に通ったと言われる。KAPF(朝鮮プロレタリア芸術家同盟)の指導者であった林和(イム・ファ)の妻としても知られる。一九四五年八月十五日の光復後は朝鮮文学家同盟に加担し、一九四七年に夫婦で越北するまでに多くの作品を発表した。主な作品に「決別」(一九四〇)「滞郷抄」「秋」(共に一九四一)「山道」(一九四二)「道程」(一九四六、朝鮮文学賞)「クァンナル(広津)」(一九四七)などがある。 桂鎔默(ケ・ヨンムク) 一九〇四―一九六一。平安北道生まれ。幼時の初名は河泰鏞(ハ・テヨン)。一九二八年に日本の東洋大学・東洋学科に入学。渡日以前から、一九二〇年に少年誌『鳥の声』に詩「寺子屋が壊れ」を発表して懸賞二等になるなど、詩や小説を執筆して作家としての頭角を現す。本格的活動は一九二七年、『朝鮮文壇』に小説「チェ書房」が当選してからである。一九三五年、同誌に「白痴アダダ」を発表し、作家としての地位を固める。その頃が彼の黄金期と評価されている。帰国後、朝鮮日報の出版部などでの勤務を経て、みずから出版社を設立している。一九四五年の「解放」直後、左右の思想に分かれる文壇の対立のなかでも、中立的立場を守ろうとする作家でもあった。「人頭蜘蛛」(一九二八)などに代表される初期の作品は現実主義的、傾向派とされるが、次第に芸術重視の作品世界へと変わっていった。晩年の作品では問題提起はするが、解決しようとする姿勢が見られず、それが彼の限界でもあると評されている。「解放」後の代表作が本書収録作品「星を数える」(一九四六)である。 長くない生涯だが、四十編以上の短編、エッセイ集『象牙塔』(一九五五)などを残している。 金東里(キム・ドンニ) 一九一三―一九九五。慶尚北道慶州(キョンジュ)に生まれる。本名は金始鍾(キム・シジョン)。母親が熱心なキリスト教徒だったことからキリスト教系の学校に通っていたが、一九二八年にソウルの儆新(キョンシン)高等普通学校に編入。しかし、翌年に退学。その後は読書に没頭し、一九三四年に詩「白鷺」が朝鮮日報の新春文芸に入選、登壇。翌一九三五年に朝鮮中央日報の新春文芸に短編小説「花郎の後裔」が入選し、小説家としての執筆活動に入った。一九三六年には東亜日報の新春文芸にも「山火」で入選している。その後、多数の作品を発表し、韓国を代表する純文学作家となったが、執筆活動のほかにも韓国文人協会の副理事長を皮切りに、中央大学芸術学部学長、韓国小説家協会会長、大韓民国芸術院会長、韓国文人協会名誉会長を務めるなど、社会活動も旺盛に繰り広げた。その文学的な特色としては、土着的な韓国人の生き方や精神を深く探求し、それを通じて人間に与えられた運命の究極のありさまを理解しようとする努力が挙げられる。そうした努力の結果として、伝統、宗教、民俗などの世界に最も関心を寄せた作家と評されるようになったが、そういった作風のものにとどまらず、当代の歴史的状況や知識人の苦悩を真っ向から扱った作品なども書いている。前者の代表作として「巫女図」(一九三六)、「黄土記」(一九三九)、「駅馬」(一九四八)、「等身仏」(一九六一)などがあり、後者の代表作としては「興南撤収」(一九五五)、「蜜茶苑時代」(一九五五)などがある。アジア自由文学賞(一九五八)を始めとし、五・一六民族文学賞(一九八三)、韓国芸術評論家協会が選定する二〇世紀を飾った韓国の芸術人(一九九九)など受賞多数。韓国の国民勲章柊柏章(一九六八)および牡丹章(一九七〇)も受けている。 孫昌渉(ソン・チャンソプ) 一九二二―二〇一〇。平壌(ピョンヤン)市生まれ。一九三五年に満州に渡り、のち日本で複数の中学校課程で苦学し、に日大にも在籍したという。一九四六の朝鮮解放と同時に帰郷するが、一九四八に越南。教師や雑誌社、出版社などの職を転々とし、一九四九年に短編「いじわるな雨」を『連合新聞』で発表。その後、短編「公休日」(一九五二)と「死縁記」(一九五三)を『文芸』で発表し作家デビューした。越南民の悲惨な避難生活を描いた「雨日和」(一九五三)で一躍注目を集め、「生活的」(一九五三)、「血書」、「人間動物園抄」(共に一九五五)などの作品を通じて著者ならではの悲観的かつ冷笑的な人間観を表出し、戦後の文壇を代表する若手作家のひとりとなった。一九七三年に日本に渡り、一九九八年に帰化。一九七六年『韓国日報』に長編歴史小説『流氓』を連載。二〇一〇年に東京で逝去。 呉尚源(オ・サンウォン) 一九三〇―一九八五。平安北道宣川郡(ソンチョングン)に生まれる。ソウル龍山高等学校を経て、ソウル大学仏語仏文学科卒。ソウル大在学時から同人活動を行っていたが、大学卒業と同時に東亜日報に入社した一九五三年に戯曲「錆びる破片」が劇芸術協会の公募に入賞し、文壇デビュー。一九五五年には短編小説「猶予」が韓国日報の新春文芸に入賞し、本格的に作家としての活動を開始した。その後、代表作とされる短編「謀反」などをはじめ、多数の作品を発表し、韓国の戦後世代文学を代表する作家のひとりに数えられている。戦後世代とは、韓国でいうところの六・二五、つまり朝鮮戦争の停戦直後である一九五〇年代の初頭から中ごろに登壇した作家を指し、青年期に入ってからの朝鮮戦争の経験を重要な文学的資産としているという共通点がある。呉尚源もやはりその特徴を示し、朝鮮戦争の頃を舞台とし、人間が「生きていく」ということ、生の中で「行動する」ということの意味を突き詰めようとした作家である。大学で仏文学を専攻したことから、フランス行動主義文学や実存主義文学に接し、その影響を受けたこの作家は、戦時の社会・道徳的問題を扱い、戦後世代の精神的挫折を行動主義的な観点からテーマ化する作品を残したが、七〇年代以降は執筆より言論活動に力を注ぎ、東亜日報の論説委員も務めた。記者在職当時は東亜日報に「汗を流す韓国人」と題した紀行文を連載したりもした。主な著作としては、短編「亀裂」(一九五五)、「謀反」(一九五七)、「現実」(一九五九)、「勲章」(一九六四)、「煙草」(一九六五)、長編「白紙の記録」(一九五七)などがあり、一九五八年には「謀反」で第三回東仁文学賞を受賞している。 張龍鶴(チャン・ヨンハク) 一九二一―一九九九。咸鏡北道の富寧(プリョン)に生まれる。一九四二年に早稲田大学商科に入学後、学徒兵として日本軍に入隊し、終戦と同時に帰国した。一九四七年に越南し、高校や大学で教鞭を取ったのち、一九六二年から『京郷新聞』『東亜日報』などの論説委員を務める。一九四八年の高校教師時代、処女作「肉囚」を脱稿し、一九四九年に『連合新聞』で「戯画」を発表。一九五〇年に短編「地動説」、一九五二年に短編「未練素描」で『文芸』誌の推薦を受けて文壇デビューした。その後、「死火山」(一九五一、発表は一九五四)、「無影塔」(一九五三)「復活未遂」(一九五四)「非人誕生」(一九五六―五七)「易性序説」(一九五八)「現代の野」(一九六〇)「円形の伝説」(一九六二)など多くの作品を発表した。一九五五年に『現代文学』で「ヨハネ詩集」を発表してから作家として注目を浴びはじめ、現代を生きる人間の条件という問題に集中的に取り組みはじめた。観念小説という新しい系譜を生み出し、朝鮮戦争を世代的自意識としてとらえ、その時代性を小説で表現しようとした作家として評価されている。 朴景利(パク・キョンニ) 一九二六―二〇〇八。慶尚南道生まれ。本名は朴今伊(パク・クミ)。一九四五年、晋州高等女学校を卒業してすぐに結婚し、娘を生む。一九五〇年師範大学を卒業し、中学校の教師になる。朝鮮戦争のさなかに夫を失い、五三年に再婚する。以降、幼少時代から大の読書好きだったこともあり、創作活動を始める。一九五五年に作家金東里の推薦で『現代文学』に短編「計算」を発表し、翌年の短編「黒黒白白」で本格的デビューとなる。五七年に発表した本書収録作品「不信時代」で第三回現代文学新人文学賞を受賞。その後、五九年まで短編小説を中心に執筆し、一九六〇年以降は主に長編小説を手掛ける。『金薬局の娘たち』(一九六二)、『市場と戦場』(一九六四)などがこの時期を代表する長編小説である。戦争によって夫を失った女性、歴史に翻弄される家族の姿を描き、読者の共感を得る。一九七〇年以降は大河小説『土地』(一九七三―九四)の執筆に集中し、二五年をかけて五部(全一六巻)にわたる長編大作を完成させた。日本植民地時代を経て解放に至るまでのほぼ一世紀にわたる、韓国の近・現代史のなかに生きる人々の群像劇ともいえる『土地』はベストセラーとなり、韓国の文学史に残る大作である。二〇〇三年に連載を始めた『土地』の続編ともいえる『蝶よ、青山へ行こう』は、作家が二〇〇八年に肺がんで亡くなったために未完成のままとなる。小説以外にも数多くのエッセイ集を残している。社会と現実への批判精神をもちながら、人間と生命に寄り添う、韓国の現代文学を代表する作家と評される。 呉永壽(オ・ヨンス) 一九一四―一九七九。 慶尚南道生まれ。号は月洲、晩年の号は蘭溪。大阪浪速中学卒業。東京の国民芸術学院を修了した後、慶南女子高校の教師となる。そのかたわら、文芸誌『白民』に「山の子」、「六月の朝」などの詩を発表して詩人としても活動する。一九四九年以降、短編小説「山葡萄」(一九五〇)などを発表して小説家に転身する。一九五五年、文芸誌『現代文学』の創刊に携わる。一五〇編以上の作品を残しているが、そのどれもが短編小説である。彼の作品世界は大きく三つに分けられるとされている。「ナミと飴屋」(一九四九)、「山葡萄」(のちに「ゴム靴」と改題)などは純真な子どもの世界を描き、「華山宅」(一九五二)、「明暗」(一九五八)などは現実を告発しながらも人情味あふれる作品といわれる。さらに「磯村」(一九五三)や「こだま」(一九五九)、「秋風嶺」(一九六七)では自然や故郷への郷愁の念が描かれている。いずれも人情味あふれる素朴で抒情的な作風が特徴で、温かみを感じさせるが、一方で歴史や社会に対する批判精神の欠如も指摘されている。一九七九年、肝臓がんのため永眠。 黄順元(ファン・スンウォン) 一九一五―二〇〇〇 。平安南道大同郡(テドングン)に生まれる。一九三四年に日本に渡り、就学。早稲田在学時に『三四文学』、『創作』、『断層』などで同人活動を行い、その頃から小説の執筆を始める。文学への入門自体は一九三一年に童謡と詩を発表したのが始まりで(「私の夢」、「息子よ、怖れるな」)、詩集『放歌』(一九三四)、『骨董品』(一九三六)を刊行している。同人時代以降は小説の執筆に専念するが、対象の属性を圧縮、省略を通じて表現するその文体的な特徴は、概して詩的文体と評されている。初期には成長小説的な色合いの濃い作品を多く発表しているが、後には時代の波にもまれ、苦しむ人々の人生を描いた作品を多く執筆した。それらの作品に登場する人物像は、厳しい状況に置かれながらもそれに屈せず、時に自らの破滅をも辞さぬ強靭な意志とプライドを備えているが、その内面には、抑圧的な世界への怒りとともに、それに対抗しきれていない自らへの自己反省的な怒りをも秘めていることが多い。早稲田大学文学部英文科を卒業してからは故郷に戻って文学活動をしていたが、解放後はソウルに移り、執筆活動とともに教職にも従事、慶熙大学では教授職に就いている。アジア自由文学賞(一九五五)、芸術院賞(一九六一)、三・一文学賞(一九六六)などの文学賞を多数受賞するとともに、韓国の韓国国民勲章柊柏章(一九七〇)、金冠文化勲章(二〇〇〇)を受章している。主な著作として、成長小説「夕立」(一九五三、映画化および日韓共同テレビドラマ化、韓国の教科書に掲載)、「星」(一九四一)、短編「雁」(一九五〇)、「甕を焼く老人」(一九五〇、一九六九に映画化)、長編「カインの後裔」(一九五三―五四)などがある。 【訳者プロフィール】 オ・ファスン(呉華順) 青山学院大学法学部卒業後、韓国の慶煕大学大学院国語国文科修士課程修了。「第1回新韓流文化コンテンツ翻訳コンテスト(ウェブコミック日本語部門)」優秀賞、「韓国文学翻訳新人賞(文化コンテンツ映画字幕日本語部門)」大賞受賞。著書『なぜなにコリア』(共同通信社)。訳書に『つかめ! 理科ダマン』シリーズ(マガジンハウス)、『準備していた心を使い果たしたので、今日はこのへんで』(扶桑社)、チョ・ヘジン『天使たちの都市』(新泉社)などがある。 カン・バンファ(姜芳華) 岡山県倉敷市生まれ。岡山商科大学法律学科、梨花女子大学通訳翻訳大学院卒、高麗大学文芸創作科博士課程修了。梨花女子大学通訳翻訳大学院、韓国文学翻訳院翻訳アカデミー日本語科、同院翻訳アトリエ日本語科などで教える。韓国文学翻訳院翻訳新人賞受賞。日訳書にチョン・ユジョン『七年の夜』、ピョン・ヘヨン『ホール』、ペク・スリン『惨憺たる光』『夏のヴィラ』(共に書肆侃侃房)、キム・チョヨプ『地球の果ての温室で』、チョン・ユジョン『種の起源』、チョン・ソンラン『千個の青』(共に早川書房)など。韓訳書に柳美里『JR上野駅公園口』、三島由紀夫『文章読本』(共訳)、児童書多数。共著に『일본어 번역 스킬(日本語翻訳スキル)』(넥서스 JAPANESE)がある。 小西直子(こにし・なおこ) 日韓通訳・翻訳者。静岡県三島市生まれ。立教大学文学部卒業。一九八〇年代中頃より独学で韓国語を学び、一九九四年に延世大学韓国語学堂に語学留学。その後、韓国外国語大学通訳翻訳大学院で日韓通訳・翻訳を学び、フリーランスの通訳・翻訳者として韓国で活動。現在は日本で日韓通訳・翻訳業に従事。訳書に、イ・ギホ『舎弟たちの世界史』(新泉社)、チャン・ガンミョン『我らが願いは戦争』(新泉社)、『七月七日』(東京創元社、共訳)、イ・ドゥオン『あの子はもういない』(文藝春秋)などがある。
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韓国文学の源流 短編選3 失花
¥2,640
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著者 李箱(イ・サン)、李孝石(イ・ヒョソク)、蔡萬植(チェ・マンシク)、金南天(キム・ナムチョン)、李無影(イ・ムヨン)、池河蓮(チ・ハリョン) 翻訳 オ・ファスン、岡裕美、カン・バンファ 発行 書肆侃侃房 四六、上製、352ページ 定価:本体2,400円+税 ISBN978-4-86385-418-5 C0097 装幀 成原亜美 装画 松尾穂波 2019年6月にスタートした韓国文学の源流シリーズは今回、短編選をスタートします。朝鮮文学時代から今の韓国現代文学に続く、古典的作品から現代まで、その時代を代表する短編の名作をセレクトし、韓国文学の源流を俯瞰できるシリーズです。韓国文学に親しみ始めた読者が、遡って古い時代の文学も読めるようにしたいと考えています。各巻は6 ~ 10 編の各時代の主要作品を網羅し、小説が書かれた時代がわかるような解説とその時代の地図、文学史年表が入ります。よりいっそう、韓国文学に親しんでいただければ幸いです。 日本統治時代、戦争の影が色濃くなる中、 荒れ狂う時代の波に翻弄される主人公たちの 恋愛、家族、そして職場での人間模様……。 当時を代表する作家たちが綴る名作六編。 モダニズム作家、李箱の遺稿で、死後に発表された『失花』。 妻の死後、中国を旅し、華やかな都会の中の孤独をアイロニーをこめて描いた『ハルビン』。 日本にいられなくなり新しい生活を求めてやってきた澄子と、雑誌社に勤めながら小説を書く作家との愛の逃避行『冷凍魚』。 思想犯として投獄された男に本を差し入れ、一時釈放を待つ女を待ち受ける厳しい現実を描いた『経営』。 変わりゆく農村を舞台に土とだけ向き合って生き、すべてを失ったあと自らの命を絶つ父。帰郷し田んぼに出てはじめて父の思想にめざめる『土の奴隷』。 妻とその女友だちとの交流を通して男と女の不可解な感情とすれ違いを描いた『秋』。 【目次】 失花 실화 李箱(イ・サン/이상) 岡裕美 訳 ハルビン 哈爾濱 하얼빈 李孝石(イ・ヒョソク/이효석) オ・ファスン 訳 冷凍魚 냉 동 어 蔡萬植(チェ・マンシク/채만식) オ・ファスン 訳 経営 경 영 金南天(キム・ナムチョン/김남천) 岡裕美 訳 土の奴隷 続「第1課第1章」 흙의 노예 李無影(イ・ムヨン/이무영) カン・バンファ 訳 秋 가을 池河蓮(チ・ハリョン/지하련) カン・バンファ 訳 解説 渡辺直紀 文学史年表 著者プロフィール 訳者プロフィール 【著者プロフィール】 李箱(イ・サン) 一九一〇―一九三七 京城生まれの詩人、小説家。本名、金海卿(キムヘギョン)。京城高等工業学校を卒業し、朝鮮総督府建築課で技手として働くかたわら、三〇年に発表した長編小説『十二月十二日』で作家活動を開始した。三三年に朝鮮総督府を辞職して喫茶店の経営を始め、妓生の錦紅(クモン)と同居生活を送る。三四年には文学同人「九人会」に参加し、『朝鮮中央日報』に詩『烏瞰図』を連載するが、難解だとの抗議を受けて打ち切られた。三六年、『朝光』誌に掲載された短篇小説『つばさ』が一躍脚光を浴び、モダニズム作家としての地位を確立。同年、東京に渡る。三七年に思想犯として日本の警察に逮捕され、持病の肺結核が悪化して保釈された後、同年四月十七日に死去。東京で書かれた『失花』は、死後に遺稿として発表された。このほか代表作に『蜘蛛、豚に会う』『逢別記』などがある。 李孝石(イ・ヒョソク) 一九〇七―一九四二 江原道(カンウォンド)平昌郡(ピョンチャングン)珍富面(チンブミョン)に生まれる。号は可山(カサン)。京城第一高等普通学校を経て、一九三〇年京城帝国大学法学部英文学科を卒業。一九三一年日本の恩師の口利きで朝鮮総督府警務局検閲係に一時就職するも、良心の呵責と周囲の非難により一カ月足らずで退職する。その後は妻の実家のある、咸鏡北道(ハムギョンプット/現在の北朝鮮)鏡城(キョンソン)に移り鏡城農業学校で英語教師、後に平壌の崇実(スンシル)専門学校教授として赴任する。教員をしながら文筆活動を行っていたこともあり、経済的には比較的余裕があったとされる。高等普通学校在学中の一九二五年「毎日申報」の新春文芸に詩「春」が選外佳作となるが、大学在学中の一九二八年雑誌「朝鮮の光」に短編「都市と幽霊」を発表したのが正式な文壇デビュー。初期の作品は「露領近海」「上陸」「北國私信」など、傾向文学の色合いが濃く、同伴者作家とも言われていた。一九三二年以後、純粋文学の世界に傾倒していき、作品には「オリオンと林檎」(三二)、「豚」「雄鶏」(三三)などがある。一九三三年には「九人会」結成の発起人の一人となり、完全に純粋文学へと移行していく。三十代前半がもっとも執筆活動が盛んな時期で、短編「山」「野」「柘榴」「ひまわり」など、毎年十作以上の短編や散文を発表していた。特に短編「そばの花咲く頃」(三六)は自然と人間の心理を美しく描写した彼の代表作として現代まで広く読み継がれている。故郷や自然への郷愁をモチーフにした短編小説が多いなか、学生時代に読み耽ったチェーホフや英語教師として過ごした経験も影響し、モダンボーイや海外の近代文化を基盤にした作品や、不倫や痴情を描いた長編小説を執筆するなど、その作品世界は幅広い。長編の代表作には「花粉」(三九)「碧空無限」(四〇)などがある。一九四〇年妻に先立たれ、ほどなく幼い次男まで亡くすと、失意のうちに満州などを転々とする。そのころから体調を崩し、一九四二年脳膜炎を患い三五歳の若さで夭折する。 蔡萬植(チェ・マンシク) 一九〇二―一九五〇 全羅北道(チョルラプット)沃溝郡(オックグン)臨陂面(イムピミョン)に生まれる。号は白菱(ペンヌン)など。一九一四年臨陂普通学校卒業後、一九一八年に上京し、京城の中央高等普通学校に入学。在学中の二〇年に結婚し、二二年に卒業。同年、日本に渡り早稲田大学付属第一早稲田高等学院文科入学。だが二三年九月、関東大震災に遭い朝鮮に帰国、そのまま日本に戻ることはなく学籍は除籍となる。その後、私立学校の教員として勤務し、そのころから小説の執筆を始め、二五年には東亜日報社に入社し記者になるが、一年あまりで退社。その後も開闢社、朝鮮日報社などを転々とする傍ら文筆家として執筆活動を続ける。三六年以後は職につかず、創作活動に専念し、四五年郷里の臨陂に帰郷し五〇年に肺結核で永眠。小説家としては短編「新しい道へ」が「朝鮮文壇」三号(二四年)に掲載されて文壇デビュー。その後、数多くの短編、長編を執筆するが、小説の他、戯曲や評論、随筆などその作品は多岐に渡る。初期の作品は「消えゆく影」「貨物自動車」など、同伴者作家に近い。三四年に発表した短編「レディメイド人生」は風刺と諧謔の効いた作風が特徴で、この風刺と諧謔はその後の彼の小説に欠かせない要素となる。その代表作に短編「痴叔」(三八年)、長編には『濁流』(三七年)、「太平天下」(三八年)がある。四〇年以降、解放を迎えるまで、家族に起きた不幸や経済的困窮など現実的問題を抱え、しだいに親日的作風へと移行していく。長編『美しき夜明け』(四二年)、『女人戦記』(四四年)などがその代表である。四五年の解放後、「民族の罪人」(四八年)を発表して自らの親日行為を自己批判している。解放後の作品には短編「孟巡査」「ミスター方」「田んぼの話」(四六年)などがある。後に国家の歴史清算の過程で親日反民族行為と規定され親日作家のレッテルを貼られるが、激動期に数多くの作品を残し、量的にも質的にも韓国の近代文学を代表する作家の一人である点では異論がない。 金南天(キム・ナムチョン) 一九一一―一九五三? 平安南道(ピョンアンナムド)成川(ソンチョン)生まれの小説家、文学評論家。本名、金孝植(キムヒョシク)。二九年に平壌高等普通学校を卒業後、日本の法政大に入学。朝鮮プロレタリア芸術家同盟(KAPF)東京支部に加入し、会誌『無産者』の同人として活動した。三一年に帰国。同年、KAPFの一斉検挙により起訴され、実刑判決を言い渡された。出所後、服役中の経験を基にした短篇『水』(三三年)など、社会主義的リアリズムを追求した作品を発表。日本の植民地支配からの解放直後、「朝鮮文学建設本部」の結成において中心的役割を担い、四六年には「朝鮮プロレタリア文学同盟」と統合した「朝鮮文学家同盟」の発足を主導した。四七年ごろ北に渡り、最高人民会議代議員、朝鮮文学芸術総同盟の書記長などを務めたが、五三年ごろに粛清されたと伝えられている。代表作に長編小説『大河』、中編小説『麦』など。 李無影(イ・ムヨン) 一九〇八―一九六〇 忠清北道陰城(チュンチョンプクド・ウムソン)に生まれる。本名は李甲龍(イ・カビョン)。一九二五年、高校を中退して日本へ渡り、成城中学に入学後、加藤武雄の門下生となる。一九二九年の帰国後は教員や出版社の社員、雑誌社の記者などを経ながら執筆を続け、一九三一年に『東亜日報』の戯曲懸賞公募で「真昼に夢見る人々」が当選、一九三二年には『東亜日報』に中編「地軸を回す人々」を連載し、作家としての真価を発揮し始める。一九三三年、文芸誌『文学タイムズ』(のちの『朝鮮文学』)を創刊するかたわら、文学同人「九人会」会員として活動。一九三五年、東亜日報社学芸部の記者となるが、一九三九年には軍浦の近くにあった宮村(クンチョン)に移り、自ら農業に携わりながら農村小説を書く。彼の農民小説は大きく三つの時期に区分される。一九三二―一九三五年の第一期には貧困にあえぎ絶望する農民の姿を、一九三九年前後の第二期には逆境にも屈さず人間としての品位と生存意志を保ち続ける農民像を、一九五〇年以降の第三期には収奪と圧迫の歴史的受難を大河小説の形で描いた。主な作品に「明日の舗道」(一九三七)「第一課第一章」(一九三九)「土の奴隷」(一九四〇)『青瓦の家』(一九四二―一九四三、朝鮮芸術賞)『農民』(一九五〇)『農夫伝抄』(一九五六)などがある。 池河蓮(チ・ハリョン) 一九一二―未詳 慶尚南道居昌(キョンサンナムド・コチャン)に生まれる。本名は李現郁(イ・ヒョヌク)。一九四〇年、雑誌『文章』に「決別」を発表し作家となる。仁川(インチョン)にあった昭和女子高等学校卒。KAPF(朝鮮プロレタリア芸術家同盟)の指導者であった林和(イム・ファ)の妻としても知られる。一九四五年八月十五日の光復後は朝鮮文学家同盟に加担し、一九四七年に夫婦で越北するまでに多くの作品を発表した。主な作品に「決別」(一九四〇)「滞郷抄」「秋」(共に一九四一)「山道」(一九四二)「道程」(一九四六、朝鮮文学賞)「クァンナル(広津)」(一九四七)などがある。 【訳者プロフィール】 オ・ファスン(呉華順) 青山学院大学法学部卒業後、渡韓。慶煕大学国語国文科修士課程戯曲専攻修了。共同通信社発行『もっと知りたい!韓国テレビドラマ』の現地スタッフを経て、現在、韓国を拠点にフリーライター、通訳・翻訳者として活動中。著書『なぜなにコリア』(共同通信社)。訳書『旅立ち』(ソン・スンホン著)、共訳書『公式コンプリートブック 美男(イケメン)ですね』(キネマ旬報社)など。 岡裕美(おか・ひろみ) 同志社大学文学部、延世大学国語国文学科修士課程卒業。二〇一二年、第十一回韓国文学翻訳新人賞を受賞。訳書にキム・スム『ひとり』(三一書房)、イ・ジン『ギター・ブギー・シャッフル』(新泉社)、『李箱文学賞受賞作家による自伝的エッセイ集』(クオン、共訳)がある。 カン・バンファ(姜芳華) 岡山県倉敷市生まれ。岡山商科大学法律学科、梨花女子大学通訳翻訳大学院卒、高麗大学文芸創作科博士課程修了。梨花女子大学通訳翻訳大学院、漢陽女子大学日本語通翻訳科、韓国文学翻訳院翻訳アカデミー日本語科、同院翻訳アトリエ日本語科、ハンギョレ教育文化センターなどで教える。韓国文学翻訳院翻訳新人賞受賞。日訳書にチョン・ユジョン『七年の夜』(書肆侃侃房)、同『種の起源』(早川書房)、ピョン・ヘヨン『ホール』、ペク・スリン『惨憺たる光』(共に書肆侃侃房)、『私の生のアリバイ』(クオン)など。韓訳書に児童書多数。共著に『일본어 번역 스킬(日本語翻訳スキル)』(넥서스 JAPANESE)がある。 【韓国文学の源流シリーズ】 およそ100年前の朝鮮時代から始まり、近現代文学の主要作家の作品によって構成されるシリーズ。韓国現代文学のファンにとって、より深く、韓国の時の流れを俯瞰することができるはずです。
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韓国文学の源流 短編選2 1932-1938 オリオンと林檎
¥2,530
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著者 朴花城(パク・ファソン)、李孝石(イ・ヒョソク)、金裕貞(キム・ユジョン)、李箕永(イ・ギヨン)、朴栄濬(パク・ヨンジュン)、朴泰遠(パク・テウォン)、玄徳(ヒョン・ドク)、李泰俊(イ・テジュン) 翻訳 イ・ソンファ、岡裕美、カン・バンファ、小西直子 発行 書肆侃侃房 四六、上製、272ページ 定価:本体2,300円+税 ISBN978-4-86385-472-7 C0097 装幀 成原亜美 装画 松尾穂波 日本植民地時代の1930年代韓国は、プロレタリア文学とモダニズム文学との相克の時代。揺れ動く時代を背景に、若い男女の交友関係を軸として、社会運動にのめり込んでゆかざるを得ない暗い時代が描かれる。実りのない恋愛を通して強く自立した生き方を模索する愛と葛藤の日々が、読むものの心に深く響いてくる。 下水道工事を巡り、日本人請負業者の賃金未払に怒りを爆発させる労働者たちの抵抗運動「下水道工事」。百貨店に勤める日本人女性ナオミと読書サークル仲間の恋の駆け引き「オリオンと林檎」。山間の村。ふとしたきっかけで住み込みで働くことになった若い女への期待と裏切り「山あいの旅人」。貧困から抜け出せない農民たちが賭博によって 仲間のわずかな財産を奪い合う「鼠火」。旱魃に苦しむ小作農と利己的な村の自作農との軋轢を描く「模範耕作生」。芳蘭荘という赤字続きのカフェを営む画家の満たされぬ日々「芳蘭荘の主」。体を壊して働けなくなった父と港でいかがわしい酒売りの仕事で稼ぐ母を持つ少年の成長期「草亀」。平壌を訪れた作家が目にした廃れゆく文化と哀しい人間模様を描く「浿江冷」。 【目次】 下水道工事 하수도공사 朴花城(パク・ファソン/박화성) イ・ソンファ 訳 オリオンと林檎 오리온과 능금 李孝石(イ・ヒョソク/이효석) 岡裕美 訳 山あいの旅人 산골 나그네 金裕貞(キム・ユジョン/김유정) イ・ソンファ 訳 鼠火 서화 李箕永(イ・ギヨン/이기영) 岡裕美 訳 模範耕作生 모범경작생 朴栄濬(パク・ヨンジュン/박영준) 小西直子 訳 芳蘭荘の主 방란장 주인 朴泰遠(パク・テウォン/박태원) 小西直子 訳 草亀 남생이 玄徳(ヒョン・ドク/현덕) カン・バンファ 訳 浿江冷 패강랭 李泰俊(イ・テジュン/이태준) カン・バンファ 訳 解説 渡辺直紀 文学史年表 <著者プロフィール> 朴花城(パク・ファソン) 一九〇四~一九八八 全羅南道木浦(チョルラナムド・モクポ)に生まれる。本名は朴景順(パク・キョンスン)、号は素影(ソヨン)。木浦にある貞明(チョンミョン)女学校を経てソウルの淑明(スンミョン)女子高等普通学校を卒業。忠清南道(チュンチョンナムド)の天安(チョナン)と牙山(アサン)、全羅南道の霊光(ヨングァン)中学校で教師生活を送る。一九二五年に李光洙(イ・グァンス)の推薦を受けて「秋夕前夜」で登壇を果たす。一九二六年、日本女子大学英文学部に入学するが、本格的に作家として執筆活動を始めたのは帰国後の一九三〇年代に入ってからだった。日本留学は朴花城の思想形成に大きな影響を与えた。一九三二年、「下水道工事」が李光洙によって「東光(トングァン)」に再び推薦され作家活動を再開。その年、女性作家初の新聞連載小説として「白花」が「東亜日報」に掲載された。その後も一九三八年まで作品活動を続け、「崩れた青年会館」(三四)、「洪水前後」(三四)、「旱鬼」(三五)、「プルガサリ」(三六)、「故郷なき人々」(三六)など二十編あまりの小説を発表する。彼女の作品には一貫して現実告発の傾向が強くにじみ出ており、富と貧困、地主と小作人、強者と弱者などの階級的対立関係の矛盾と、不条理に抗う民衆の姿を描き出しているという点で、社会性の強いリアリズム小説と評される。「重陽節」(三八)を最後に執筆を中断していたが、解放後の一九四六年、雑誌「民声(ミンソン)」に短編「春霞」を発表し執筆活動を再開した。大韓民国文化勲章、韓国文学賞、第一回芸術院賞を受賞。韓国文人協会理事、国際ペンクラブ韓国本部中央委員、韓国女流文人会初代会長を歴任した。生涯を通じて約二十編の長編小説、百編の短編小説、五百編の随筆と詩などの作品を残し八十四歳でこの世を去った。 李孝石(イ・ヒョソク) 一九〇七~一九四二 江原道平昌郡(カンウォンド・ピョンチャングン)に生まれる。号は可山(カサン)。京城第一高等普通学校を経て、一九三〇年京城帝国大学法文学部英文学科を卒業。一九三一年日本の恩師の口利きで朝鮮総督府警務局検閲係に一時就職するも、良心の呵責と周囲の非難により一カ月足らずで退職する。その後は妻の実家のある、咸鏡北道鏡城(ハムギョンプクド・キョンソン)に移り鏡城農業学校で英語教師、後に平壌の崇実(スンシル)専門学校教授として赴任する。教員をしながら文筆活動を行っていたこともあり、経済的には比較的余裕があったとされる。高等普通学校在学中の一九二五年「毎日申報」の新春文芸に詩「春」が選外佳作となるが、大学在学中の一九二八年雑誌「朝鮮の光」に短編「都市と幽霊」を発表したのが正式な文壇デビュー。初期の作品は「露領近海」(三一)「上陸」(三〇)「北國私信」(三〇)など、傾向文学の色合いが濃く、同伴者作家とも言われていた。一九三二年以後、純粋文学の世界に傾倒していき、作品には「オリオンと林檎」(三二)、「豚」「雄鶏」(三三)などがある。一九三三年には「九人会」結成の発起人の一人となり、完全に純粋文学へと移行していく。三十代前半がもっとも執筆活動が盛んな時期で、短編「山」(三六)「野」(三六)「石榴」(三六)など、毎年十作以上の短編や散文を発表していた。特に短編「そばの花咲く頃」(三六)は自然と人間の心理を美しく描写した彼の代表作として現代まで広く読み継がれている。故郷や自然への郷愁をモチーフにした短編小説が多いなか、学生時代に読み耽ったチェーホフや英語教師として過ごした経験も影響し、モダンボーイや海外の近代文化を基盤にした作品や、不倫や痴情を描いた長編小説を執筆するなど、その作品世界は幅広い。長編の代表作には「花粉」(三九)「碧空無限」(四〇)などがある。一九四〇年妻に先立たれ、ほどなく幼い次男まで亡くすと、失意のうちに満州などを転々とする。そのころから体調を崩し、一九四二年脳膜炎を患い三十五歳の若さで夭折する。 金裕貞(キム・ユジョン) 一九〇八~一九三七 江原道春川(カンウォンド・チュンチョン)出身。富農の家に二男六女の七番目として生まれるが、両親の死後、兄の放蕩により家産が傾き故郷を離れる。十二歳の頃にソウルの齊洞(チェドン)公立普通学校に入学、一九二九年に徽文(フィムン)高等普通学校を卒業、その翌年に延禧(ヨンヒ)専門学校(延世大学校の前身)と普成(ポソン)専門学校(高麗大学校の前身)に進むがいずれも中退。その後は故郷に戻り、農村の立ち遅れた環境を改善するために夜学校を開設し農村啓蒙運動を展開するなか、一九三三年に「山あいの旅人」、「チョンガーとカエル」を発表し登壇を果たす。一九三五年、「朝鮮日報」と 「朝鮮中央日報」の新春文芸に「夕立」と「ノダジ(富鉱脈)」がそれぞれ当選し一躍注目を浴びる小説家となった。同年、朝鮮の文学親睦会である「九人会」に入り、既存の会員だった李箱(イ・サン)と知り合い共に文壇活動を行う。登壇から二年間で「金を掘る豆畑」(三五)、「春・春」(三五)、「椿の花」(三六)、「タラジ」(三七)など、約三十編の小説と十編の随筆を発表。純朴な故郷の風景や、登場人物のありのままの生きざまを風刺とユーモアを交えて描きながら、物語の意外な展開やどんでん返しで笑いに昇華させるシニカルな作風を持ち味としている。生活に困窮した農民たちの姿や自身の経験に基づいた植民地期の冷徹な現実を見据えつつも、苦しい時代を生き抜くための愛と人間味を素材とした作品が多い。「椿の花」、「春・春」はそれぞれ韓国中・高等学校の国語の教科書に収録されている。一九三七年、京畿道(キョンギド)広州(クァンジュ)郡で肺結核のため二十九歳の短い生涯を終えた。 李箕永(イ・ギヨン) 一八九五~一九八四 忠清南道牙山(チュンチョンナムド・アサン)生まれ。号は民村(ミンチョン)。開化思想を持つ父は家庭を顧みず、貧しい少年時代を送った。一九二〇年代初めに渡日し、正則英語学校(現在の正則学園高校)に入学するも、関東大震災により学業を中断して朝鮮に戻ることを余儀なくされる。一九二四年、「兄の秘密の手紙」が「開闢」に掲載されて登壇。翌年、詩人・作家の趙明熙(チョ・ミョンヒ)の推薦で雑誌「朝鮮之光」に記者として就職するとともに、朝鮮プロレタリア芸術家同盟(KAPF)に参加した。KAPFの一斉検挙により三一年と三四年の二度拘束され、二度目の検挙では一年半にわたり投獄された。三三年に「朝鮮日報」に連載した中編「鼠火」、同年から三四年にかけて同紙に連載した長編「故郷」は、植民地朝鮮の農村問題を素材とし、貧困にあえぐ農民の暮らしを描いた作品として代表作に挙げられる。三五年にKAPFが解散すると、翌年には転向小説とされる「寂寞」を発表。三九年に朝鮮文人協会に発起人として参加し、親日的活動にも関与した。植民地時代末期には江原道内金剛(カンウォンド・ネグムガン)に疎開し、農作業を行いながら隠遁生活を送る。解放後は北に渡り、左翼作家として朝鮮文学芸術総同盟を率いた。その後も八四年に病没するまで芸術団体のトップを歴任した。長男の李平(イ・ピョン)は金正日(キム・ジョンイル)の最初の妻、成蕙琳(ソン・ヘリム)の前夫である。主な作品に「民村」(二七)、「開闢」(四六)、「蘇える大地」(四九)、「豆満江」(五四~六一)などがある。 朴栄濬(パク・ヨンジュン) 一九一一~一九七六 平安南道江西郡(ピョンアンナムド・カンソグン)に生まれる。号は晩牛(マヌ)、西嶺(ソリョン)。平壌の崇実(スンシル)中学校、光成(クァンソン)高等普通学校を経て延禧(ヨンヒ)専門学校文科に入学、一九三四年の卒業と同時に長編「一年」が「新東亜」、短編「模範耕作生」が「朝鮮日報」の新春文芸に当選し、文壇にデビューした。一九三五年に抗日グループが若者の左傾化を図ったとして検挙された「読書会事件」にかかわり五か月間拘留された後、満洲の吉林省に移住、教師生活を送るが、戦争が終わると帰国。京郷新聞社の文化部長、高麗文化社の編集長などを経て、陸軍本部の政訓監室に文官として勤務、従軍作家団の事務局長なども務めた。その後は漢陽大副教授などを経て延世大教授、後には文理科学部の学部長も務めている。三〇年代中頃の作品は、主に農村の貧困を素材とし、苦痛にあえぐ人々への人間主義的な愛をテーマとしたものだった。「一年」「模範耕作生」「父の夢」「綿の種を蒔くとき」(いずれも三四)といったその頃の作品には啓蒙や思想の色は感じられず、農民の実情や思いが描かれている。戦争が終わると小説の舞台を都市に移し、都市の小市民の生活を中心に人間の孤独や倫理問題を粘り強く追求するようになるが、それを通じて彼は、人間というのはもともと孤独な存在だが、そのことに絶望するのではなく、むしろ高揚した精神世界に昇華させてゆくべきという生への意志と姿勢を打ち出すとともに、物質・快楽主義に陥り、人間としての基本的な倫理意識さえもマヒしてしまった現代人の姿を暴いてもいる。その生涯を通じて彼は、前述の短編「綿の種を蒔くとき」(三六)をはじめとし、「風雪」(四七)、「龍草島近海」(五三)、「古壺」(五四)など多数の作品を生み出しているが、それらを通して窺える彼の文学的特性は、面白さや脱倫理的な感覚などに向かう文壇の流れにも揺らぐことなく一貫していた。人間としての誠実さや正直さを描くことによる「善良な人間像」の追求だ。 朴泰遠(パク・テウォン) 一九一〇~一九八六 筆名、号は泊太苑(パク・テウォン)、夢甫(モンボ)、仇甫(クボ)、丘甫(クボ)など多数。一九一〇年にソウルに生まれる。幼い頃から文学に強い興味を示し、李光洙、廉想渉、金東仁などの作品を通じて文学に傾倒してゆく。京城第一公立高等普通学校に在学中の一九二六年に詩「ヌニム(姉上)」が「朝鮮文壇」の佳作に入り、早くも文壇にその名を登場させる。三〇年に渡日し、法政大学の予科に入学するも中退。しかし留学時代に現代芸術全般にわたり幅広い見識を得る。初期には主に詩を書いていたが、のちに短編小説を書き始める。三三年には李泰俊の誘いで「九人会」に参加、その頃から文壇の注目を集めはじめ、中編「小説家仇甫氏の一日」(三四)などを発表、芸術派作家としての地位を確固たるものにしてゆく。特に一九三六年には、長編「川辺の風景」、全編がひとつの文章からなる「芳蘭荘の主」など、彼の代表作となる作品が多数発表された。特に当時の都市の様子を精密に描写した「川辺の風景」は、「リアリズム小説」、「世態小説」などと称され、話題を呼ぶ一方で、プロレタリア作家らから批判を受けるなど、文学界に論争を引き起こしもした。一九三九年以降は、主に自らの体験をモチーフにした小説や中国の歴史小説の翻訳などを発表していたが、一九五〇年の朝鮮戦争勃発を機に北に渡り、平壌文学大学で教鞭をとったりしながら主に歴史小説を執筆した。代表的なものとして「甲午農民戦争」(一~三部、七七~八六)があるが、これは北朝鮮で最高の歴史小説と評価されている。朴泰遠の初期の小説は文体や技法、テーマなどにおいてモダニズム小説の特徴を如実に示しており、作品のイデオロギーより文章の芸術性や人物の内面の描写を重んじている。こういった作品傾向から、韓国では友人である李箱とともに三十年代を代表するモダニズム作家とされている一方で、北朝鮮では歴史小説の大家と評価され、 七九年には国家勲章も受けている。 玄徳(ヒョン・ドク) 一九〇九~未詳 ソウル生まれ。本名は玄敬允(ヒョン・ギョンユン)。仁川(インチョン)の大阜(テブ)公立普通学校を中退し、中東学校速成科に一年通う。一九二五年、第一高等普通学校に入学するが、すぐに中退。一九二七年、「朝鮮日報」新春文芸童話部門に「月から落ちたウサギ」が一等入選し、一九三二年には童話「ゴムシン」が「東亜日報」で佳作を受賞。その後多くの童話を「少年朝鮮日報」などで発表した。一九三八年、「朝鮮日報」に「草亀」が当選し正式に文壇デビュー。裕福な家庭に生まれたが、最下層の生活を送った経験が作品に反映されている。彼の作品は大きく二つの部類に分けられる。一つ目は天真爛漫な子どもの目から農村共同体が瓦解していく様子を描いたもので、「草亀」(三八)、「驚蟄」(三八)、「ヒキガエルが食べたお金」(三八)などが挙げられる。どれも農村共同体が解体し、故郷を捨てて都市郊外に移り住んだ農民が没落していく様子を描くことで、日本統治下の社会的矛盾を描き出している。二つ目は無気力な知識人を主人公にして堕落した都市を描いたもので、「路地」(三九)、「群盲」(四〇)などが挙げられ、一九三〇年代後半の貧しく、奇形的で、退廃的なソウルをありありと描き出している。一九四六年に朝鮮文学家同盟に参加し、一九五〇年に越北。その後も作品を発表したが、一九六二年に粛清されたとされ、それ以降の行方はわかっていない。 李泰俊(イ・テジュン) 一九〇四~未詳 江原道鉄原(カンウォンド・チョルウォン)に生まれる。号は尚虚(サンホ)または尚虚堂主人(サンホダンチュイン)。幼少時代をウラジオストクで過ごし、父親が亡くなると故郷に戻って鳳鳴(ボンミョン)学校を卒業し徽文(ヒムン)高等学校に入るが、同盟休校の首謀者として退学処分となる。その後日本の上智大学予科に入学し、中退。一九二五年、「朝鮮文壇」に「五夢女」が入選し文壇デビュー。一九二九年から雑誌の編集にたずさわり、エッセーや少年読本を書く。一九三三年には朴泰遠、李孝石、鄭芝溶らと共に九人会を結成し、日本統治時代末期まで多くの作品を発表し続けた。一九四一年に第二回朝鮮芸術賞(受賞作不詳)、一九四六年に「解放前後」で第一回解放記念朝鮮文学賞を受賞。一九四六年七~八月頃に越北したとされるが、一九五六年に粛清されてからの行方は定かでない。九人会への参加により叙情性の強い作品を定着させ、一九三四年から「月夜」などの短編集を七冊、「思想の月夜」などの長編を一三冊出版。一九四五年光復以前の作品は、思想的なものより文章の妙味を生かした芸術至上的な色彩を帯びており、世情の繊細な描写や同情的な視線で物事を見つめる姿勢が、短編小説の芸術的完成度と深みをもたらせたという点で、韓国を代表する短編小説作家として評価されている。光復以降は朝鮮文学家同盟の核心メンバーとして活動する中、作品にも社会主義的な色彩をにじませようと努めた。 <訳者プロフィール> 小西直子(こにし・なおこ) 日韓通訳・翻訳者。静岡県三島市生まれ。立教大学文学部卒業。一九八〇年代中頃より独学で韓国語を学び、一九九四年、延世大学韓国語学堂に語学留学。以後、韓国在住。高麗大学教育大学院日本語教育科修士課程単位取得退学、韓国外国語大学通訳翻訳大学院韓日科修士課程修了。現在は韓国で通訳・翻訳業に従事。訳書に、イ・ギホ『舎弟たちの世界史』(新泉社)、イ・ドゥオン『あの子はもういない』(文藝春秋)、キム・ジュンヒョク『ゾンビたち』(論創社)、金学俊『独島研究』(共訳、論創社)がある。 イ・ソンファ(李聖和) 大阪生まれ。関西大学法学部卒業後、会社勤務を経て韓国へ渡り韓国外国語大学通訳翻訳大学院修士課程(韓日科・国際会議通訳専攻)修了。現在は企業内にて通訳・翻訳業務に従事。韓国文学翻訳院翻訳アカデミー特別課程・アトリエ課程修了。第二回「日本語で読みたい韓国の本翻訳コンクール」で最優秀賞受賞。訳書にペク・スリン『静かな事件』(クオン)、『わたしの心が傷つかないように』(日本実業出版社)などがある。 岡裕美(おか・ひろみ) 同志社大学文学部卒業、延世大学国語国文学科修士課程修了。二〇一二年、第十一回韓国文学翻訳院翻訳新人賞を受賞。訳書にキム・スム『ひとり』(三一書房)、イ・ジン『ギター・ブギー・シャッフル』(新泉社)、『僕は李箱から文学を学んだ』(クオン、共訳)、『韓国・朝鮮の美を読む』(野間秀樹・白永瑞編、クオン、共訳)などがある。 カン・バンファ(姜芳華) 岡山県倉敷市生まれ。岡山商科大学法律学科、梨花女子大学通訳翻訳大学院卒、高麗大学文芸創作科博士課程修了。梨花女子大学通訳翻訳大学院、漢陽女子大学日本語通翻訳科、韓国文学翻訳院翻訳アカデミー日本語科、同院翻訳アトリエ日本語科、ハンギョレ教育文化センターなどで教える。韓国文学翻訳院翻訳新人賞受賞。日訳書にチョン・ユジョン『七年の夜』(書肆侃侃房)、同『種の起源』(早川書房)、ピョン・ヘヨン『ホール』、ペク・スリン『惨憺たる光』(共に書肆侃侃房)、『私の生のアリバイ』(クオン)、チョン・ミジン『みんな知ってる、みんな知らない』(U-NEXT)など。韓訳書に児童書多数。共著に『일본어 번역 스킬(日本語翻訳スキル)』(넥서스 JAPANESE)がある。 【韓国文学の源流シリーズ】 2019年6月にスタートした韓国文学の源流シリーズは朝鮮文学時代から今の韓国現代文学に続く、古典的作品から現代まで、その時代を代表する短編の名作をセレクトし、韓国文学の源流を俯瞰できるシリーズです。 短編選2では1930年代の作品をご紹介します。戦中で食べるものにも事欠きながら志だけは高く持つ青春群像にふれてください。 各巻には小説が書かれた時代がわかるような解説とその時代の地図、簡単な文学史年表が入ります。よりいっそう、韓国文学に親しんでいただければ幸いです。
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夜の声|スティーヴン・ミルハウザー
¥2,750
柴田 元幸 訳 発行 白水社 出版年月日 2021/10/28 ISBN 9784560098738 判型・ページ数 4-6・220ページ 定価 2,750円(本体2,500円+税) 緻密な筆致、驚異の想像力で壮大な夜に響く声 夜中に自分の名前を呼ぶ神聖な声を待ちわびる者たちの心のうちをたどる表題作など、奇想と魔法の職人芸で唯一無二の世界を紡ぐ8篇。 耳をすませば、声が聞こえてくる 人魚の死体が打ち寄せられた町の人々の熱狂と奇妙な憧れを描く「マーメイド・フィーバー」。夜中に階下の物音を聞きつけた妻が、隣で眠る夫を起こさずに泥棒を撃退しようとあれこれ煩悶する「妻と泥棒」。幽霊と共に生きる町を、奇異と自覚しつつもどこか誇らしげに語る「私たちの町の幽霊」。勝手知ったるはずの自分の町が開発熱でまるで迷宮のようになってしまう「近日開店」……。 ミルハウザーといえば、細部まで緻密な描写でリアルに感じられるが、決定的にどこか変という世界が特徴である。前作『ホーム・ラン』ではその想像力は外へ外へと広がり宇宙を感じさせたが、本書で印象的なのは、内に広がる内省的なもの。「夜の声」はそれが顕著な傑作。夜中に自分の名前を呼ぶ声を聞いた旧約聖書の少年の物語を軸に、”声”を待ちわびる、時空を超えた者たちの心のうちをたどる。じつはこの短篇の原題はA Voice in the Nightと単数だが、短篇集全体の原題はVoices in the Nightと複数。つまり、一篇一篇が「声」なのである。唯一無二の世界を生み出す名人が緻密な筆致、驚異の想像力で紡ぐ八篇の声に耳を傾けていただきたい。 [著者略歴] スティーヴン・ミルハウザー STEVEN MILLHAUSER 1943年、ニューヨーク生まれ。アメリカの作家。 1972年『エドウィン・マルハウス』でデビュー。『マーティン・ドレスラーの夢』で1996年ピュリツァー賞を受賞。『私たち異者は』で2012年、優れた短篇集に与えられるThe Story Prizeを受賞。邦訳に『イン・ザ・ペニー・アーケード』『バーナム博物館』『三つの小さな王国』『ナイフ投げ師』(1998年、表題作でO・ヘンリー賞を受賞)(以上、白水Uブックス)、『ある夢想者の肖像』『魔法の夜』『木に登る王』『十三の物語』『私たち異者は』『ホーム・ラン』(以上、白水社)、『エドウィン・マルハウス』(河出文庫)がある。ほかにFrom the Realm of Morpheusがある。 [訳者略歴] 柴田元幸(しばた もとゆき) 1954年生まれ。米文学者・東京大学名誉教授・翻訳家。ポール・オースター、スティーヴン・ミルハウザー、スチュアート・ダイベック、スティーヴ・エリクソン、レベッカ・ブラウン、バリー・ユアグロー、トマス・ピンチョン、マーク・トウェイン、ジャック・ロンドンなど翻訳多数。『生半可な学者』で講談社エッセイ賞、『アメリカン・ナルシス』でサントリー学芸賞、『メイスン&ディクソン』で日本翻訳文学賞、坪内逍遥大賞を受賞。
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カフカ素描集|フランツ・カフカ
¥14,300
編者 アンドレアス・キルヒャー 協力 パーヴェル・シュミット 寄稿 ジュディス・バトラー 訳者 高橋文子 訳者 清水知子 発行 みすず書房 判型 A4変型 頁数 344頁 定価 14,300円 (本体:13,000円) ISBN 978-4-622-09606-1 Cコード C1071 発行日 2023年10月16日 〈カフカの遺品のうち、まさに素描のほとんどが含まれている部分が、何十年にもわたってまったく手の届かない状態に置かれていた。そのひと束の紙が、カフカの創作の最後の偉大な未知数であったと言っても、決して過言ではない。〉 ――「前書き」より チューリッヒの金庫に保管されていた160点余の素描。2019年、没後百年を目前にしてようやく姿をあらわした、もうひとりの、画家カフカ。実物大、オールカラーで収録。 10年余におよぶ係争の末、2019年に公表され、世界的な話題となったカフカの素描群。その全てを初めて出版。 全素描に加え、関連する資料図版・詳細な解説を付し、絵を描くことに熱を上げていた当時のカフカを浮かび上がらせる。 ユダヤ文学研究者アンドレアス・キルヒャーによる詳細な学術的解説。 哲学者ジュディス・バトラーによる独創的な論考。 芸術家パーヴェル・シュミットによる全作品目録。
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セミコロン かくも控えめであまりにもやっかいな句読点|セシリア・ワトソン
¥2,420
翻訳 萩澤大輝/倉林秀男 発行 左右社 定価 2,420 円(税込) 刊行日 2023年08月30日 判型/ページ数 四六判変形 並製 192ページ ISBN 978-4-86528-383-9 Cコード C0080 重版情報 1 装幀・装画 松田行正+倉橋弘/装丁 この小さな記号の歴史を知っていますか? 英文法の世界でいくたびも論争を巻き起こしてきた記号「セミコロン」。 ・英文法家たちの仁義なき論争 ・セミコロンのせいで酒も飲めない? ボストン中が大騒動に。 ・終身刑か死刑か、句読点が生死を分かつ。 ・句読点の使い方を指摘され、校正者にブチ切れるマーク・トウェイン ・難解すぎてまったく売れなかった『白鯨』における大量のセミコロン etc. 小さなトラブルメーカーが巻き起こす波乱万丈の文化史! 柴田元幸氏・鴻巣友季子氏 推薦! 英→日翻訳者として、日本語にセミコロンがないことを何度も呪ってきたが、この本を読むと、なくてよかったと思えてくる。そんなものがあったせいで、英語はどれだけ混乱したことか! が、その混乱をめぐる物語は無類に面白い。原文の卓抜なユーモアが、訳文でもあざやかに再現されている点も秀逸。 ──柴田元幸 セミコロンひとつでお酒は売れなくなるわ、ひとは死ぬわ、さらにこんな面白い本が書けてしまうとは、どういうことだ!──鴻巣友季子
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MONKEY vol. 31 特集:読書
¥1,320
ISBN:9784884186234 2023年10月15日刊行 価格:1,320円 文芸誌「MONKEY」は創刊から10周年を迎え、その記念すべき第31号では、「読書」にまつわる物語を集めました。 現代SF作家ケン・リュウの短篇「夏の読書」や、20世紀初頭に活躍した女性作家イーディス・ウォートンによる短篇「ジングー」、2017年1月のニューヨークタイムズ・ブックレビューに掲載された、ポール・オースターの「本の人生」などを柴田元幸訳で収録。さらに、ホルヘ・ルイス・ボルヘス「バベルの図書館」の野谷文昭による新訳や、円城塔による書き下ろし短篇などを掲載。 また、特集外では、トルーマン・カポーティが一躍その名を知らしめた初期短篇「ミリアム」を村上春樹訳による新訳で収録。 表紙はカワイハルナ描き下ろし作品です。
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私の生活技術|アンドレ・モーロワ
¥1,099
翻訳 中山眞彦 発行 土曜社 - 仕 様:文庫判(148 × 105 × 8.2ミリ)224頁 - 番 号:978-4-86763-004-4 - 初 版:2016年12月22日 - 定 価:999円+税 心おきなく相手を賛美できるのは、大きなしあわせである ヒルティ(1891年)、アラン(1925年)、ラッセル(1930年)の三大幸福論のあと、フランス人作家モーロワが1939年に世に問うた第四の幸福論。進学、結婚、昇進、定年など人生の節目に繙きたい「モーロワ箴言集」。 若いうち本を読みあさるのは、ちょうど広い世間に出て行くのと同じで、友を得るためである。しかしいったん、これこそ友とすべきだという人が見つかったら、その人とともに世間づきあいをはなれるべきである アンドレ・モーロワ(作家) 心穏かで、なすべきことが決まっているときには、孤独はいいものだ ゲーテ(詩人・作家) 愛・労働・指揮・老いは、それぞれ人生のある時期の特徴をなすもので、したがって本書はおのずと人間の一生の推移のすがたを描くものとなる 中山眞彦(仏文学者) 目 次 1 考える技術 世界と思考/体で考えること/言葉で考えること/論理と推論/デカルトの方法/実験的方法/実験の欠点/思考と行動 2 愛する技術 相手の選択/愛の誕生/愛されること/求愛/あきさせぬこと/欲望の浄化 3 働く技術 うまく働く方法/助手、副官、秘書/肉体労働と頭脳労働。主婦/生徒の労働(勉強)/読む技術/芸術家の労働/休息する技術/結論 4 人を指揮する技術 いかにして指導者をえらぶか/指導者の人格/指導者の知性/指揮をする技術/統治する技術/指導者の権利と義務 5 年をとる技術 影の線/老いの自然のすがた/老いの不幸/年をとらずにいることはできるか/上手に年をとるということは可能か/上手に年をとるための二つの異なった方法/死ぬ技術/ある何人かの青年に寄せる手紙 解 説(中山眞彦) 著 者 略 歴 アンドレ・モーロワ André Maurois 1885年、仏エルブフに生まれる。哲学者アランに師事し、小説家・伝記作家として活躍。『フランス敗れたり』『フランス戦線』『初めに行動があった』『パリの女』などの著作が日本語に翻訳されている。1967年永眠、享年82。 訳 者 略 歴 中山眞彦〈なかやま・まさひこ〉仏文学・比較文学者。東京工業大学名誉教授。1934年、京城市(現・ソウル)に生まれる。東京大学大学院博士課程中退。千葉大学、東京工業大学、東京女子大学で教鞭をとり、2002年退官。著作に『物語構造論――「源氏物語」とそのフランス語訳について』『小説の面白さと言語』『ロマンの原点を求めて』のほか、フランス語教科書も多数。
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女ごころ|サマセット・モーム
¥748
翻訳 尾崎寔 ちくま文庫 748円(税込) Cコード:0197 刊行日: 2014/08/06 ページ数:192 ISBN:978-4-480-43199-8 第二次世界大戦前夜のイタリア、山荘に住む美貌の未亡人メアリーは親子ほど歳の離れた英国高官エドガーからプロポーズを受ける。一途なアプローチに心を動かされるメアリーだったが、そこにエドガーとはまったくタイプの違う二人の男性が現れて物語は急展開を迎える。芸術の街フィレンツェの華麗な英国人社交界を舞台に、刻々と変化を見せる女の心情を鮮やかに描いたモームの傑作を新訳で。 サマセット・モーム 1874~1965。20世紀最大の作家。聖トマス病院医学校で医師免許を得た後、文学の道に転じる。青年の苦悩と自立を描いた自伝的小説『人間の絆』は教養小説の白眉。第一次大戦では、英国政府の密命をおびて戦時下のロシアに潜入、ケレンスキー内閣支援に奔命する。『お菓子とビール』、『コスモポリタンズ』など数々の長・短編小説の傑作を残す。
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地図と領土|ミシェル・ウエルベック
¥1,540
翻訳 野崎歓 ちくま文庫 価格 ¥1,540(本体¥1,400) 2015/10発売 ページ数 464p/高さ 15cm 商品コード 9784480433084 孤独な天才芸術家ジェドは、個展のカタログに原稿を頼もうと、有名作家ミシェル・ウエルベックに連絡を取る。世評に違わぬ世捨て人ぶりを示す作家にジェドは仄かな友情を覚え、肖像画を進呈するが、その数カ月後、作家は惨殺死体で見つかった―。作品を発表するたび世界中で物議を醸し、数々のスキャンダルを巻きおこしてきた鬼才ウエルベック。その最高傑作と名高いゴンクール賞受賞作。 ミシェル・ウエルベック 1958年(56年とも)、フランス海外県レユニオン島生まれ。国立高等農業学校卒業。94年、小説第一作『闘争領域の拡大』で一躍注目を浴びる。2010年、『地図と領土』にてゴンクール賞を受賞。現在フランスで最もスキャンダラスな話題に包まれた作家である 野崎歓[ノザキカン] 1959年、新潟県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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プラットフォーム|ミシェル・ウエルベック
¥1,485
翻訳 中村佳子 河出文庫 416ページ ISBN:978-4-309-46414-5 ● Cコード:0197 発売日:2015.10.06 定価1,485円(本体1,350円) なぜ人生に熱くなれないのだろう? ――圧倒的な虚無を抱えた「僕」は、旅先のタイで出会った女性と恋におちる。パリへ帰国し、二人は売春ツアーを企画するが……。愛と絶望を描くスキャンダラスな長篇作 著者 ミシェル・ウエルベック (ウエルベック,M) 1958年フランス生まれ。ヨーロッパを代表する作家。98年『素粒子』がベストセラー。2010年『地図と領土』でゴンクール賞。15年には『服従』が世界中で大きな話題を呼んだ。他に『ある島の可能性』など。 中村 佳子 (ナカムラ ヨシコ) 1967年広島生まれ。翻訳家。訳書に、F・ベグベデ『99フラン』、M・ウエルベック『ある島の可能性』『プラットフォーム』、B・サンサル『2084 世界の終わり』、バルザック『ゴリオ爺さん』など。
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お前らの墓につばを吐いてやる|ボリス・ヴィアン
¥1,012
翻訳 鈴木創士 訳 河出文庫 264ページ ISBN:978-4-309-46471-8 ● Cコード:0197 発売日:2018.05.08 定価1,012円(本体920円) 伝説の作家がアメリカ人を偽装して執筆して戦後間もないフランスで大ベストセラーとなったハードボイルド小説にして代表作。人種差別への怒りにかりたてられる青年の明日なき暴走をクールに描く暗黒小説。 著者 ボリス・ヴィアン (ヴィアン,B) 1920年フランス生まれ。作家・詩人・ジャズトランペット奏者。代表作に『うたかたの日々』『心臓抜き』など。アメリカ文化に精通し、ジャズと文学を融合させたような前衛的作品を多数遺した。1959年没。 鈴木 創士 (スズキ ソウシ) 1954年生まれ。著書に『アントナン・アルトーの帰還』『中島らも烈伝』『魔法使いの弟子』。訳書に『神の裁きと訣別するため』(共訳)『狂人の二つの体制』(共訳)『歓待の書』『ロデーズからの手紙』。
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トルネイド・アレイ|ウィリアム・S・バロウズ
¥1,282
SOLD OUT
翻訳 清水アリカ 発行 思潮社 発行年月:1992.6 サイズ:18cm/109p ISBN:4-7837-2738-4 略奪国家アメリカへの反逆精神、銃撃戦、突然変異体との闘いなど、バロウズ世界のエッセンスに満ち満ちた、彼の「原風景」ともいえる短篇集。1989年作品。
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パリの悟り|ジャック・ケルアック
¥1,980
翻訳 中上哲夫 発行 思潮社 発行年月:2004.7 サイズ:20cm/155p ISBN:4-7837-2861-5 ケルアック、フランスを行く。自らのルーツを求めてパリからブルターニュを巡る旅人がえた「サトリ」とは? 熱狂の底にある震えるまなざし、無作為の即興的文体が映しだす、1966年、ケルアックの裸の真実。 著者 ジャック・ケルアック 略歴〈ケルアック〉1922〜69年。マサチューセッツ州生まれ。「路上」でビート・ジェネレーションの旗手として一躍時代の寵児となる。他の作品に「禅ヒッピー」「孤独な旅人」など。
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ブローティガン 東京日記|リチャード・ブローティガン
¥1,430
SOLD OUT
翻訳 福間健二 平凡社ライブラリー 出版年月 2017/04 ISBN 9784582768541 Cコード・NDCコード 0398 NDC 931.7 判型・ページ数 B6変 208ページ 定価1,430円(本体1,300円+税) 1976年5~6月、ブローティガンは1ヶ月半日本に滞在し、日記のように日々の思いや観察を詩に著した。平易な言葉の中に深いペーソスがあふれる最後の詩集、待望の再刊。
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オフショア 第三号
¥1,650
四六判・並製本・176ページ・モノクロ ISBN 978-4-9912649-3-1 C0495 ¥1500E 定価(本体 1500 円+税) 発行 2023年8月22日 (農歴七月七日 七夕) 「やすい」や「おいしい」ではない、一歩踏み込んだアジア。ウェブメディア「Offshore」が紙の雑誌としてリニューアルした、アジアを読む文芸誌『オフショア』の第三号。 掲載内容 ■武田力インタビュー「分断を越えるための演出術――俳優と民俗芸能の経験から」 聞き手・構成:山本佳奈子 ■「芸術と力 ジョグジャカルタの知」金悠進 ■「私は如何にして心配するのを止めてマレーシアの生活を楽しむようになったか」友田とん ■連載・第三回「台湾における市民による地下メディア実践と民主化との関係――1990年代の台湾の地下ラジオ運動を軸として」 『巻き起こった地下ラジオ旋風』和田敬 ■聞き書き・第三回「営業のさちよさん」檀上遼 ■「プンムルと追悼――演奏を通じた加害の歴史の語りなおし」齊藤聡 ■「わたしと、中国の幾つかのこと」長嶺亮子 表紙装画:胡 沁迪(フー・チンディ) @udhiqni ロゴ・表紙デザイン:三宅 彩 @miyakeaya 「後ろを振り返りながら前を向く」。 日本における、日本以外のアジア地域の音楽・アート・カルチャーの受容は、グローバルな情報社会のおかげで何の垣根もなく進んでいます。過去の日本が行った植民地政策や侵略者としての歴史を忘却してしまったとしても、交流していけるのかもしれません。しかしオフショアは、カジュアルな交流のその一歩向こう側に踏み出して、日本とアジアの関係の適切な積み重ね方を探ります。
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居心地の悪い部屋
¥814
編訳 岸本佐知子 河出文庫 200ページ ISBN:978-4-309-46415-2 ● Cコード:0197 発売日:2015.11.06 定価814円(本体740円) 翻訳家の岸本佐知子が、「二度と元の世界には帰れないような気がする」短篇を精選。エヴンソン、カヴァンのほか、オーツ、カルファス、ヴクサヴィッチなど、奇妙で不条理で心に残る十二篇。 著者 岸本 佐知子 (キシモト サチコ) 1960年生まれ。翻訳家。訳書に、ミルハウザー『エドウィン・マルハウス』、ジュライ『最初の悪い男』、ベルリン『すべての月、すべての年』、スミス『五月 その他の短篇』、タン『内なる町から来た話』など。