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まぼろしの枇杷の葉蔭で 祖母、葛原妙子の思い出|金子冬実

¥1,760 税込

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発行 書肆侃侃房
四六判/並製/184ページ
定価:本体1,600円+税
ISBN978-4-86385-590-8 C0095
装丁 成原亜美(成原デザイン事務所)
装画 杉本さなえ

「幻視の女王」とも評された、戦後短歌史を代表する歌人、葛原妙子。彼女には家族にしか見せなかった別の姿があった──。チャーミングで愛おしい、「異形の歌人」の横顔。

「おばあちゃんとのことについて、色々な人が色々なことを言っているだろう。あれはみんな違うんだよ」

「あたりかまわず朱と咲きいでよ」と自らを鼓舞し、脇目もふらず作歌にいそしんだ歌人、葛原妙子。

子どもの頃、大森の祖母の家に行く時には何か冒険に出かけるような気持ちになった。かつての病院の敷地内にあった、広い平屋住宅。周囲には枇杷の大樹が緑の葉をさかんに茂らせていた。

孫である著者から見た葛原妙子とは──。戦後短歌史を代表する歌人と、その家族の群像がここにある。

向田邦子、須賀敦子を髣髴とさせる、極上の名エッセイ集。

【本文より】
私は祖母のことを「おばあちゃん」と呼んではいたものの、祖母は世間一般で言う「おばあちゃん」らしさが感じられる人では全くなかった。夫にかしづき、家族を愛し、まめまめしく皆の世話をやいていた父方の祖母とあまりに違いすぎる。そのことに戸惑いを覚えつつも、ある種の諦めの気持ちがあった。

   ***

「おばあちゃんはカジンだから……」
周囲の大人たちがしばしば口にする「カジン」という音に、「歌人」という漢字があてはまることを知ったのはだいぶ後になってからだった。「カジン」にせよ「歌人」にせよ、同年代の子供たちが親しまないこれらの言葉は、大人たちから与えられた玩具のように、幼い私の傍らにいつもあった。

【葛原妙子とは……?】
1907年東京生まれ。東京府立第一高等女学校高等科国文科卒業。1939年、「潮音」に入社し、四賀光子・太田水穂のもとで作歌を学ぶ。終戦後、歌人としての活動を本格化させ、1950年、第一歌集『橙黃』を刊行。1964年、第六歌集『葡萄木立』が日本歌人クラブ推薦歌集(現日本歌人クラブ賞)となる。1971年、第七歌集『朱靈』その他の業績により第五回迢空賞を受賞。1981年に歌誌『をがたま』創刊(1983年終刊)。1985年没。

【著者プロフィール】
金子冬実(かねこ・ふゆみ)
1968年東京生まれ。旧姓勝畑。早稲田大学大学院で中国史を学んだのち、東京外国語大学大学院にて近現代イスラーム改革思想およびアラブ文化を学ぶ。博士(学術)。1995年より2014年まで慶應義塾高等学校教諭。現在、早稲田大学、東京外国語大学、一橋大学等非常勤講師。1996年、論文「北魏の効甸と『畿上塞囲』──胡族政権による長城建設の意義」により、第15回東方学会賞受賞。

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